Yami Bolo(ヤミ・ボロ)Text by Dub Store Sound Inc.
10代前半から活躍を続けるカルチュアル・シンガー。
Yami Bolo
本名 |
Roland Ephraim McClean |
出生 |
1970年 |
出身地 |
ジャマイカ キングストン |
関連アーティスト |
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シュガー・マイノット(Sugar Minott)が率いたユース・プロモーション(Youth Promotion)のサウンドシステムで80年代前半から若きスターとして人気を博していた彼の初録音はテク二クス(Techniques)の大ヒットリズム、"Stalag"に乗せた'When A Man In Love'で、続いて'Jah Made Them All'、'Roots Upon Yuh Corner'等を録音し、初期代表曲の'Free Mandela'は現在でも高い人気を誇るヒット曲となった。他にも伝説のピアニカ奏者オーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)の下でも活動した彼は80年代後半のラガ期における数少ないカルチュアル・シンガーとして活躍した。
90年以降も自身のヤム・ユーフォニー(Yam Euphony)、タッパ(Tappa)、レゴ(Leggo)といったレーベルからルーツ色の強い秀作を発表した。94年にはミヤ・アンド・ヤミ(Miya And Yami)という名義で発表した'Love Is Dangerous'が日本で50万枚を超えるヒットを記録し、レゲエ・ファン以外にも彼の名は広く認知されていった。
2007/08/03 掲載 (2013/11/21 更新)