Garnett Silk(ガーネット・シルク)Text by Dub Store Sound Inc.
90年代のレゲエシーンを語る上で最も重要なシンガーであり,名前の通り透き通った絹のような美しい声から発せられるカルチュアルなリリックは当時のレゲエシーンに大きな変換をもたらした。ボブ・マーリーの再来と言われた彼の功績は死後10年以上経った現在でも語り継がれている。
Garnett Silk
本名 |
Garnett Smith |
出生 |
1967年 |
死没 |
1994年12月9日 |
出身地 |
ジャマイカ マンチェスター |
12歳の頃リトル・ビムボ(Little Bimbo)という名でDJとしてキャリアをスタートさせる。当時はディスティニー・アウターナショナル(Destiny Outernational)、ペッパーズ・ディスコ(Pepper's Disco)、ステレオフォニック(Stereophonic)、ソウル・リメンバランス(Soul Remembrance)などのサウンドシステムで修行し、1987年、'Problem Every Where'で初録音を果たす。その後キングストンに活動の場を移し、ユース・プロモーション(Youth Promotion)、晩年のキング・タビーズ(King Tubbys)、ジャミーズ(Jammys)、ペントハウス(Penthouse)、スティーリー・アンド・クリーヴィー(Steely & Clevie)で録音を繰り返した。
再び故郷に戻ったシルクは幼なじみのトニー・レベル(Tony Rebel)に紹介されたアンソニー・ロチェスター(Anthony Rochester)と共にルーフ・インターナショナル(Roof International)で録音した後、ボビー・デジタル(Bobby Dixon)のデジタルB(Digital B)から初アルバムにして代表作、'It's Growing'を発表した。それからのシルクは'The Rod' 、'I Am Vex'、'Lion Heart'、'Seeing Zion'、'Lord Watch Over Our Shoulders'、'Hello Mama Africa'等の大ヒット曲でジャマイカ中に旋風を巻き起こした。「愛」や「カルチャー」について説いた素晴らしい歌詞はソングライターとしても一流だったことを示している。そしてアメリカのアトランティック(Atlantic)レーベルとの契約話が持ち上がった矢先に自宅で母親と共に不慮の死を遂げている。
2018/04/18 掲載