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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑U Roy
アーティスト特集
U Roy(U ・ロイ)Text by Harry Hawks
"生きる伝説"という言葉はしばしば乱用され過度に表現されてきた。しかしイワート'Uロイ'ベックフォードが"生きる伝説"ということに意義を唱えるものはいないだろう。別名"Rightful Ruler"、"Deejay Daddy"は贈られる栄光の全てを受け取るに値する。
U Roy
本名 Ewart Beckford
出生 1942年9月21日
出身地 ジャマイカ キングストン 
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ディージェイは当初レコードの作り手として考えられてはいなかった。彼らの役割はレコードの紹介、アナウンス、ダンサーたちの盛り上げ、スキャット、脚韻、奨励、進行役だった...事実、客たちを踊らせるためなら何でもやった。レコーディング用の人材として考えられていなかったにも関わらずディージェイたちは時折レコードに登場していたのだがレコードに録音されても彼らが評価を受けることはまず無かった。

1942年9月21日、キングストンのジョーンズ・タウンでイワート・ベックフォード(Ewart Beckford)として生まれたUロイ(U Roy)はディッキーズ・ダイナミック(Dickies Dynamic)でディージェイを始め、その後サー・ジョージ・ザ・アトミック(Sir George The Atmic)に場所を移し、コクソン(CS Dodd)のダウン・ビート(Down Beat)サウンド・システムで短期間活動したものの1971年、結果的にキング・タビー(King Tubby)ホーム・タウン・ハイファイ(Home Town Hi-Fi)に落ち着いた。60年代が終わりに近づくと、バニー'ストライカー'リー(Bunny Striker Lee)、リー'スクラッチ'ペリー(Lee Perry)、ロイド'マタドール'デイリー(Lloyd 'Matador' Daley)、キース・ハドソン(Keith Hudson)などの先進的な考えを持つプロデューサーたちはUロイのポテンシャルを見抜き、彼をレコードに収め始めた。ストライカーの下では彼の大ヒット'Bangarang'のヴァージョン'Orgarang'、'King Of The Road'や余り知られていない'Non Violence'、ジェフ・バーンズ(Jeff Barnes)との'Wake The Nation'などを録音した。スクラッチのためにはピーター・トッシュ(Peter Tosh)がアムハラ語でレコードの紹介をするレゲエ・ボーイズ(Reggae Boys)の素晴らしい'OK Carol'のヴァージョン、地球を砕くほど強烈な'Selassie'を録音した。ロイド'マタドール'デイリーの元では美しい'Scandal'と'Sound Of The Wise'を残したが、キース・ハドソンとの'Dynamic Fashion Way'は彼がその先歩んでいく、驚くべきキャリアの方向性を確立させた。ケン・ブース(Ken Boothe)の猛烈な'Old Fashion Way'のヴァージョンはレコードに一身をささげた最も素晴らしいイントロで、曲の始めから終わりまで勢いが緩むことは無かった。しかしこれらのレコードが大ヒットとみなされることはなかった。

1969年と1970年キング・スティット(King Stitt)はついにプロデューサー、クランシー・エックルズ(Clancy Eccles)による草分け的な一連のヒット曲で名声を博した。スティットはコクソンのサウンドの重大な任務を担うナンバー・ワンのディージェイだったがドッド氏は彼のダイナミックなポテンシャルを十分にレコードへと収めようとはしなかった。彼のスタジオ・ワン(Studio One)での作品、'No Man Version'と名づけられたデニス・ブラウン(Dennis Brown)の'No Man Is An
Island'のヴァージョン、'Redder Than Fred'と名づけられたジョン・ホルト(John Holt)の'OK Fred'は良い作品だったがクランシーのために録音したものほど売れなかった。しかしキング・スティットはUロイのために新しいドアを開き、1970年彼はジャマイカの音楽シーンをひっくり返し続けた。

デューク・リード(Duke Reid)のトレジャー・アイル(Treasure Isle)産ロックステディ・レコーディングの定番曲から厳選した楽曲での録音はそれから後世に続く全てのディージェイたちに向けてのルールを作った。以前はレコードを紹介し、レコードが進行するにつれ言葉を挟んでいただけのディージェイたちだったが、Uロイは今、レコード全体を通して"リズムに乗り"、一見適合しているように聴こえるが曲を歌っているオリジナルのヴォーカリストの歌い方とは異なっていた。Uロイがトレジャー・アイルから最初にリリースした'Wake The Town'、'Rule The Nation'、'Wear You To The Ball'は1970年、ジャマイカのチャートで12週間もトップ3を保ち続けた。ジャマイカではトレジャー・アイル、イギリスではトロージャン(Trojan)からリリースされたアルバム「Version Galore」は名盤として評価され、レゲエの歴史家クリス・レーン(Chris Lane)は一度「これ以上素晴らしいアルバムを作れるものはいない」と記したことがあり、我々がこの意見に反対することはこれからも無いだろう。

Uロイのインパクトと影響は強大でUロイを模倣する全ての者たちは彼の足跡をたどった。Uロイ・ジュニア(U Roy Junior)、マッド・ロイ(Mad Roy)、Iロイ( I Roy)、Uブラック(U Black)らはUロイの名を借り、一方でデニス・アルカポーン(Dennis Alcapone)、リジー(Lizzy)、キング・スポーティ(King Sporty)、ウィンストン・スコットランド(Winston Scotland)らはダンスホールの生の興奮全てをレコーディング・スタジオへと移行させた。キングストンのシンガーたちは彼らが成功できる訳がないと主張し、「ディージェイの曲はシンガーたちにチャンスを与える為という理由で放送されなかった」が物事は徐々に一般的になりディージェイのレコードはキングストンの音楽用語の重要な一部分となった。

70年代の半ば、Uロイを模倣する若手Iロイ、ビッグ・ユース(Big Youth)、プリンス・ジャズボ(Prince Jazzbo)などの若手はUロイから王座を奪い、Uロイはダブ処理された新しいリズムに乗れないと言われた。しかし夜から夜へとキング・タビーのホーム・タウン・ハイ・ファイでライヴをこなしていたUロイにとってこれは真実ではなく、ビッグ・ユースと競演し、ユースのレーベル、ネグサ・ナガスト(Negusa Nagast)からリリースされた実に素晴らしい'Battle Of The Giants'、フェデラル(Federal)のために録音した全能なる'Foundation Skank'、デリック・ハリオット(Derrick Harriott)の'Penny For Your Dub'、グレン・ブラウン(Glenmore Brown)の驚くべき'Number One In The World'など全ては彼がドラム・アンド・ベースのスタイル習得したことを証明した。また'Joyful Locks'や'Gorgon Wise'などのバニー'ストライカー'リーに残した一連のレコードはUロイを再度頂点へと押し上げた。

この頃ヴァージン・レコーズ(Virgin Records)はジャマイカ音楽に多く投資することを決め、Uロイは彼らが最初に契約をしたアーティストの一人だった。プロデューサー、プリンス・トニー・ロビンソン(Prince Tony Robinson)のために録音した「Dread In A Babylon」は彼を世界のトップ・クラスの中に放り込み、このリリースとこの後に続いた「Natty Rebel」、「Rasta Ambassador」、「Jah Son Of Africa」は何千枚のもの売上を見せた。1976年にアメリカのみでレーベル、キング・アターニー(King Attorney)から許可なしにリリースされた「Dubbing To The King In A Higher Rank」はチャンネル・ワン(Channel One)のリズムで"彼らがマイティ・ダイアモンズ(Mighty Diamonds)だ"とロッカーズ・スタイルで紹介するUロイをフィーチャーし、さらにサウンド・システムにおいて彼が最高峰だということを証明した。この知る人ぞ知るこのリリースは修正と変名をした上で「The Lost Album」として20年以上後に再度リリースされた。自身2人の息子から名前を取ったのだが、長年に渡り人気のある"Stereograph the general..."というバリー・ブラウン(Barry Brown)のダブ・プレート・スペシャルで"ステレオグラフ(Stereograph)"として通常知られる、スターカヴ・サウンド・システム(Stargav Sound System)を設立した。

彼はジャマイカの"Order of Distinction"のオフィサー・ランクを2007年に授与され、その後もツアーとパフォーマンスを続けた。彼のライヴの出演は以前にも増し際立って魅力的であり、彼はマイクから離れると多くを語らず、40年間のとどまることのない成功に驚くことは一度もなかった。Uロイはどこの誰よりも素晴らしいレコードの数々を作り、他の誰よりもディージェイという芸術を一般化した。彼のマイクを通した作品は20世紀後半とそれ以降の音楽の形式を決定的に変え、彼が生きる伝説だということは疑うまでもない。
2012/08/23 掲載 (2012/10/11 更新)
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