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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Vybz Kartel
アーティスト特集
Vybz Kartel(ヴァイブス・カーテル)Text by Harry Hawks
ジャマイカのダンスホール・ミュージックほど競争がタフなものはないが、時折、その競争に頭1つぬきんでたアーティストが現れることがある。「みんなはリアルなネタを望んでる...そして俺がやっているのはそれだ」ヴァイブス・カーテル
Vybz Kartel
本名 Adidja Palmer
出生 1976年1月7日
出身地 ジャマイカ ポートモア ウォーターホールド
関連アーティスト
"戦の天使"、ヴァイブス・カーテル(Vybz Kartel)はアディジャ・パーマー(Adidja Palmer)として1976年1月7日、キングストンのVictoria Jubilee Hospitalで生を受け、ボートモア地区のウォーターフォールドで5人の兄弟、姉妹と共に祖母に育てられた。幼少期の友人から"ディージェイ"として知られていた彼はキングストンのCalabar High Schoolを退学させられた、それはきっと「俺は"ハイ・スクール(高校)"には1度も行った覚えはないが、ハイで学校に通っていた!」からで、最終的にはTechnical Collegeで学問を学んだ。

アディジャの叔父はディージェイで、彼は様々なカントリー&ウェスタンのアーティストたち、サム・クック(Sam Cook)からニンジャマン(Ninjaman)など音楽を幅広く聴いていたが、バウンティ・キラー(Bounty Killer)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、ウィル・スミス(Will Smith)、KRS1らを自らの音楽の師と仰いでいた。アディジャはエレクトロ・フォース(Electro Force)とスパT(Supa T)など、地元のサウンドシステムのダンスでマイクを持ち始め、10歳になる頃には、現在消滅してしまったキングストンのConey Amusement ParkでGongとして知られる毎週恒例のタレント・ショーに出場し始めていた。厳しい審査をすることで有名なConeyの観衆たちは、パフォーマーが彼らの期待に添えることが出来ないと、ステージから即座に降ろした。アディジャもまた何度もその洗礼を受けたのだ!しかしこれに鍛えられた彼は、11歳の時、ヴェテラン・プロデューサーのアルヴィン・リード(Alvin Reid)のレーベル、ワン・ハート(One Heart)のためにガッシー・クラーク(Augustus Gussie Clark)のミュージック・ワークス・スタジオ(Music Works)でデビュー・シングル'Adi Love Fat Women'を録音していた。アディ・バントン(Adi Banton)の名前でリリースされたこのレコードはヒットしなかったものの、アディはまたもこれをこの先も戦い続けることが出来るシグナルとして受取った。

南アメリカ人ギャングスター、パブロ・エスコバル(Pablo Escobar)の偉業を映し出した1996年のフィルムに影響を受けたアディと2人の友人、"Mrリー(Mr Lee)"と"エスコバル(Escobar)"はエスコバルの悪名高き麻薬組織にちなんでヴァイブス・カーテル(Vibes Cartel)という音楽グループを結成するが、長くは続かなかった。

「解散した理由は、初めてのビッグなショーで俺にマネージメント・チームが付いたんだ、更にその先に行くには1人でやった方が良いんじゃないかと思ったからだ...」

しかしアディジャはその名前を捨てずに"Vybz Kartel"とスペルを変えたが、それは"1人しかいないのに'cartel(組織)'と呼べるのか?"という質問へと発展してしまった。しかしその答えは紛れもなく"イエス"だった!

「俺が組織全体のヴァイブスを出してるんだ。俺のエネルギーはグループの中で生まれるものと同じだ...」

1998年、ポートモアで行われた"Champions In Action"ショーでヴァイブス・カーテルは、彼の音楽におけるヒーローの1人であるバウンティ・キラーが彼の類稀な才能を認知するような素晴らしいパフォーマンスを地元の観衆たちに見せた。ヴァイブス・カーテルのマネージャー、ローハン・バトラー(Rohan Butler)からの紹介が済むと、ヴァイブスは'High Grade Forever'、'Warlord Rule The World'、'Gal Crown'などのヒット曲をバウンティ・キラーのために書いた。この関係はヴァイブスがその時から、いつでもジャマイカ・ダンスホール・シーンの中心人物として認知されるようになるということを保証し、新しい世紀、2000年の幕開けからヴァイブス・カーテルはヒット曲を止むことなくリリースした...止まるそぶりなど1度も見せたことはないのだが。業界随一のプロデューサーたちと仕事が出来るうらやましいポジションになったヴァイブス・カーテルのリリックの豊かさは、いつでも'Da Rolling'のリズム"Scarecrow"や'A Cry'のリズム"Bun Bun"など、当時流行っていたリズムに支えられていた。ヴォーカリストのウェイン・マーシャル(Wayne Marshall)とのコンビーネーションで、"Mad Ants"リズムに乗せて'New Millennium'をヒットさせ、ダンスホールの"辞書"にこんな新しいキャッチフレーズまで浸透させた。

"Karl Kaniを着てCanei(ドリンク)を頂く..."

2002年、ストーン・ラヴ(Stone Love)の30周年記念パーティで"ディージェイ・オブ・ジ・イヤー"に選ばれてから、その後10年続く、複数のダンスホール・ディージェイたちへのヴァイブス・カーテルの容赦のない係わり合いとやり合いはビッグ・マッチを控えたヘヴィーウェイト級のボクサーの間で繰り広げられるやり取りを彷彿とさせた。これがチケットやレコードの販売促進に繋がることは周知のとおりだが、これはまた非常にリアルな緊張感と激しい競争力の表れでもあるのだ。ニンジャマン、ヴァイブス・カーテルと彼らの側近の間で始まった戦いで、2003年12月26日に行われたSting Stage Showでのニンジャマンとの"ステージ上でのどろどろのやり合い"のあと、ヴァイブス・カーテルはニンジャマンに公で謝罪した。2006年バウンティ・キラーのアライアンス(Alliance)と袂を分けたヴァイブスはポップコーン(Popcaan)、ガザ・スリム(Gaza Slim)、ショーン・ストーム(Shawn Storm)ら、地元の若手や才能溢れるポートモア地区のヴォーカリストとディージェイたちと共にポートモア・エンパイア(Portmore Empire)を結成した。アライアンスの最高の主唱者だったヴァイブス・カーテルの離脱の後、一連のリリースと反撃のリリースがヴァイブスとマバド(Mavado)の間で続いた。2007年の春に行われた緊張感漂う記者会見でこの2人のアーティストたちは公式にこの確執の終わりを宣言し、それぞれのフォロワーたちに謝罪した。しかし2008年の夏、舌戦がまた始まり...Sting 2008のヴァイブス・カーテルとマバドの熱を帯びたリリックの対決へと繋がっていった。口論はエスカレートし、翌年まで加速し、その前夜にWest Kingston Jamboreeで共にパフォーマンスをしたこの2人は2009年12月8日にこの分裂を辞めるように働きかけたジャマイカの首相、ブルース・ゴールディング(Bruce Golding)と会談した。公で行われていた論争は"ガザ(Gaza)"として知られるヴァイブス・カーテルと"ガリー(Gully)"として知られるマバドの若いフォロワーたちの間での暴力的なストリート・クラッシュの引き金となっていたのだった。

2003年、ヴァイブス・カーテルはキングストンで行われた、チケットが完売した50セント(50 Cent)のステージ・ショーをサポートしたきっかけで国際的なステージへ進出、そして彼はそれをフェデレーション・サウンド(Federation Sound)とキャッシュ・マネー(Cash Money)のミックス・テープへの参加、リアーナ(Rhianna)やミッシー・エリオット(Missy Elliot)らとの激しいデュエット、ジェイZ(Jay-Z)、バスタ・ライムズ(Busta Rhymes)、リル・ウェイン(Lil Wayne)、エミネム(Eminem)らとのリミックスやコラボレーション、Hot97で数え切れないほどのプレイ回数、自分自身だけでなくノートリアスB.I.G. (Notorious B.I.G.)やシャバ・ランクス(Shabba Ranks)、ボブ・マーリー(Bob Marley)とも共演したマッシュ・アップ音源のリリースなどで強固なものにした。MTVの「Vice Guide to Dancehall」は毎週行われるカーテルのパーティ、Street Vybz Thursdayをフィーチャーし、スパイス(Spice)との'Romping Shop'はBillboard Top 100 Singleチャートで爆発的人気を博した。メインストリームのテレビ・シリーズ、「So You Think You Can Dance」にフィーチャーされた2010年の'Clarks'はヴァイブス・カーテルの最も国際的にヒットしたレコードの1枚になった。

ハードコアなアメリカ人ヒップ・ホップ・アーティストからの、全面的なまた疑いの無いリスペクトを要求することが出来る、選ばれたジャマイカ人パフォーマーたちの1人であるヴァイブス・カーテルは自身のルーツを1度も妥協することなくトラディショナルなレゲエ以外オーディエンスの獲得にも成功した。

彼のビジネス・パートナーでありプロデューサーのエインズレー'ノットナイス'モリス(Ainsley 'Notnice' Morris)とのアディジャヒーム/ノットナイス・レコーズ(Adidjaheim/Notnice Records)からのリリースを通してのジャマイカでの彼の人気は1度も弱まることは無く、彼は常に早口で、巧みに言葉を操り、ユーモアのセンス、洞察力と知性に溢れたリリックを届けた。CVM Jamaicaで放送された彼のリアリティTVショー「Teacha's Pet」はジャマイカ人ダンスホール・パフォーマーがホストをした初めてのリアリティ・ショーになった。

「リリックありきのダンスホールなんだ。クレイジーなリリック!ウィットに富んだリリック!知的なリリック!俺の言っている意味が分かるか?たくさんのポエムだ!たくさんの比喩だ!たくさんの笑顔だ!...ヴァイブス・カーテルが"ティーチャー(先生)"だ!」
2014/07/24 掲載 (2014/07/29 更新)
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