Morgan Heritage(モーガン・ヘリテッジ)Text by Dub Store Sound Inc.
ラスタ一家のモーガン・ヘリテッジが音楽で伝える神とラスタの精神は人々の心を確実に掴む。生まれた時からラスタとして育った彼らが伝える音楽には神の力があらゆるところに遍在している。彼らのボーカルはルーツレゲエでありながらR&B調。とてもこの二つの要素がうまく融合するとは思いがたいがそこに介在する相違が彼らのすばらしさである。
Morgan Heritage
メンバー |
Mr. Mojo Gramps Lukes Peter Una |
活動期間 |
1992年 ~ |
結成地 |
アメリカ ニューヨーク ブルックリン |
関連アーティスト |
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モーガン・ヘリテッジ(Morgan Heritage)はジャマイカ、スパニッシュタウン出身1954年生まれのデンロイ・モーガン(Denroy Morgan)が持つ29人の子供の内8人によって結成された。
モーガン・ヘリテッジの生みの親であるデンロイ・モーガンは1965年に見たジョンカヌーに刺激を受け音楽業界に足を踏み入れた。19歳の時、デンロイ・モーガンはアメリカに移住そこで彼はマッド・クリエイターズ(Mad Creators)を結成。70年代初期、彼は'Chaeting'という楽曲を初レコーディング、この楽曲が彼の新たな方向性を生み出し、ブラック・イーグルス(Black Eagles)を結成。このバンドから発表した楽曲'I Come From Jamaica'でCBSとの契約を獲得した。1977年、ニューヨークで行われたレゲエ・フェスティバルのタレントショーで優勝。80年代を通して'I'll Do Anything For You'、'Reggae'、'Last Change'といったローカル・ヒットを生み出した。当時モーガン一家はニューヨークのブルックリンにベースを構えていて、子供たちは週末になると父のスタジオに行きバンド・ボーカルの練習を重ねていた。そうしてモーガン・ヘリテッジは1990年に結成された。
1992年デンロイ・モーガンはモーガン・ヘリテッジをJamaican Reggae Sunsplash Festivalという国際的イベントに参加させ、彼らのデビュー・パフォーマンスはセンセーションを巻き起こした。その後MCAと契約を交わし、1994年にはデビューアルバム 「Miracles」をリリース。
一年後には父の故郷ジャマイカに移住、現在のモーガン・ヘリテッジの原型となるアメリカ、ニューヨーク出身73年生まれのボーカリスト/キーボード演奏者ユナ(Una)、76年生まれのボーカリスト/キーボード演奏者ロイ(Roy)、77年生まれのピーター(Peter)、77年生まれのギタリスト、ルークス(Lukes)、81年のパーカッション演奏者、Mr.モージョー(Mr.Mojo)の5人になった。
ジャマイカに移住してからはボビー・デジタル(Bobby Dixon)が彼らをプロデュースし、レディ・ソウ(Lady Saw)をフィーチャーした'Ladies'や'Gimme A License'をデジタルB(Digital B)からリリース、ジャミーズ(Jammys)を運営するキング・ジャミー(Lloyd James)がプロデュースした'Let's Make Up'、'Mama And Papa'、'Set Yourself Free'、'People Are Fighting'などといった楽曲を著名プロデューサーと共に発表した。
97年以降VPレコーズ(VP Records)と契約を交わし2006年までの十年間で通算7枚のアルバムをリリース、精力的に活動を続けている。VPからのリリースされたどのアルバムも高い評価を得ている。また、97年に発表した'Pray For Love'はUKチャート入りを果たした。また、彼らの活動はVPだけにとどまらず2000年には自分たちのスタジオから「The Morgan Heritage Family and Friends」シリーズをリリースし、レゲエ界においてラスタの音楽を自分たちで伝え復活させるというミッションを遂行し続けている。
2007/05/28 掲載 (2013/11/21 更新)