Penthouse(ペントハウス)Text by Dub Store Sound Inc.
ドノヴァン・ジャーメイン(Donovan Germain)によって設立された90年代を代表するレーベル。彼はペントハウス・スタジオから発信された上質でクリアなダンスホール・リズムでシーンを先導し、多くのヒット曲を手がけた。
Penthouse
設立 |
1987年 |
設立地 |
ジャマイカ キングストン スライプ・ペン・ロード |
主要スタジオ |
Penthouse Studio |
設立者 |
Donovan Germain |
プロデューサー |
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エンジニア |
Dave Kelly Tony Kelly Lenky Andre Tyrell |
関連アーティスト |
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関連レーベル |
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90年代ダンスホールの先駆者ドノヴァン・ジャーメイン(Donovan Germain)の所有するレーベル。80年代のジャミーズ(Jammys)の王位を継承し、ダンスホールを支配した。デイヴ・ケリー(Dave Kally)やトニー・ケリー(Tony Kelly)、アンドレ・ティレル(Andre Ryrell)、レンキー(Lenky)といった優秀なエンジニアを輩出した事でも知られ、ダンスホール史に大きな功績を残した。
1952年3月7日生まれのドノヴァン・ジャーメイン(Donovan Germain)の活動は1970年代に始まっている。ニューヨークにレコード店を構えていた彼は、ニューヨークを拠点としたレーベル、レボリューショナリー・サウンズ(Revolutionary Sounds)を設立、プロデュース業へと打って出たのである。拠点はあくまでニューヨークであったが、本レーベルのセッションは全てキングストンにて行われた。ここで彼はイギリスで大きな反響を呼んだスウィートなラヴァーズ・ロック、シュガー・マイノット(Sugar Minott)の'Good Thing Going'やカルチュラル・ルーツ(Cultural Roots)による力強いステッパーズ・ルーツ、'Mr. Boss Man'といったセッションを記録。早くもその才能の片鱗を見せ付けている。87年に手がけたヒット曲、オードリー・ホール(Audrey Hall)の'One Dance Won't Do'は彼とレーベルへの評価を決定付けた。'Good Thing Going'に次いでイギリスでポップ・ヒットとなったこの曲を期にキングストンのスライプ・ペン・ロード(Slipe Pen Road)にスタジオを設立。活動拠点をジャマイカへと移した。
彼の作り出す洗練されたクリアなリズム・トラックに乗せたメロディアスな楽曲は瞬く間に島中の注目を集めた。べレス・ハモンド(Beres Hammond)やマーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)といった実力のあるヴェテランは彼の元で再び輝きを放ち、ブジュ・バントン(Buju Banton)、トニー・レベル(Tony Rebel)、カッティ・ランクス(Cutty Ranks)等の若いディージェイは彼の元から大きく飛躍した。ジャー・マリ(Jah Mali)、サンチェス(Sanchez)、ウェイン・ワンダー(Wayne Wonder)等のヴォーカリストも負けじと素晴らしいパフォーマンスを残し、ペントハウス(Penthouse)は紛れも無いダンスホールの王者となったのである。
ペントハウス(Penthouse)の特徴は既存のリズムを100%ダンスホールのトラックに焼き直すというパターンにある。'General'、'Things & Times'、'Love I Can Feel'、'Really Together'、'Cherry Oh Baby'、'College Rock'、'Freedom Blues'、といったリズムはドノヴァン・ジャーメイン(Donovan Germain)の手によって革新的なサウンドへと生まれ変わった。シーンに誇る絶対的なオリジナル・リズムを生み出す事は無かったが、その時代が求める、その時代にあったリズムを既存のリズムから見出す事で大きな成功を収めたのである。近所にスタジオを構えていたガッシー・クラーク(Gussie Clarke)のミュージック・ワークス(Music Works)とよく比較されるが、ペントハウス(Penthouse)の方がより都会的でモダンなサウンドを展開した。
彼はダンスホールを基本としながら、サウンドの質の向上に努め、シンプルで非常に繊細なサウンドを打ち出していった。彼のレーベルからは数え切れない程のヒット曲が生まれ、現在でもその評価は絶大である。当時に比べその勢いは落ち着いたが順調にリリースを続けている。
2008/03/28 掲載 (2008/03/28 更新)