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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Captain Sinbad
アーティスト特集
Captain Sinbad(キャプテン・シンバッド)Text by Harry Hawks
キャプテン・シンバッドにとってアルバム「Senven Voyages(7回の航海)」は人生をかけた音楽の旅となった...現在、ジャマイカを代表する最高峰ディージェイ、レコード・プロデューサーの1人として国際的に認知されている。
Captain Sinbad
本名 Carl Dwyer
出生 1959年8月1日
出身地 ジャマイカ キングストン 
関連アーティスト
1959年8月1日ジャマイカはキングストンで生まれたカール・ドワイヤー(Carl Dwyer)はその幼少期を過ごし、カナダへと移住した。彼は学業を終えるとジャマイカへと戻った。「アラビアナイト(千夜一夜物語)」に登場する伝説の船乗りからキャプテン・シンドバッド(Captain Sinbad)と命名、ディリンジャー(Dillinger)、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)、トリニティー(Trinity)といったディージェイと活動行い、シンガーのシュガー・マイノットと一緒に'サウンド・オブ・サイレンス'サウンドシステムでディージェイを行うようになった。

「俺はシュガーとマックスフィールド・パークで会ったんだ...サウンドがプレイしているのが聞こえたよ。シュガーが俺にマイクでしゃべらせてくれた。そこから俺たちは活動を一緒にしたんだ!」

当時、スタジオ・ワン(Studio One)で活動を行っていたシュガー・マイノット(Sugar Minott)はダンスホールと言われるようになるスタイルの基礎を築いた人物である。彼はキャプテン・シンバッドをスタジオ・ワンのあるブレント・フォードへと連れていきミスター・ドッド(CS Dodd)のために3曲ほど録音を行っているが彼のマスター級のマイクさばきがスタジオ・ワンのレーベルから聞こえるになったのはそのまた数年後であった。

1978年後期、シュガーは自身の利他主義を掲げたユース・プロモーション(Youth Promotion)を見事に組織し、ゲットーの才能ある若者の育成を始めた。初期作の一つがシンバッドにとっても正式な録音となった'Pressure / Pressure Rock'である。翌年の頭、ロンドンで影響力を持ったレーベル、サファラーズ・ハイツ(Suffers Heights)からリリースされたシュガー・マイノットの'Hard Time Pressure'(*ホープトン・ルイス"Hopeton Lewis"のスカ・ロックステディ楽曲'Sounds & Pressure'をアップデートしたもの)の続編としてリリースされた。また、シュガーの運営したブラック・ルーツ(Black Roots)からのリリース'River Jordan'のB面'51 Storm'でディージェイを披露。当然、ユース・プロモーションでアルバムをコンパイルできるほどの作品を制作するも、「アルバムがリリースされることはなかった」という。

アローズ・ハイ・ファイ(Arrows Hi-Fi)の専属ディージェイとなったシンバッドは自身の作品をリリースするためにレーベル、ユーツ・イン・プログレス(Youth In Progress)を設立。最初のリリースは後のダンスホール・スター、リトル・ジョン(Little John)の'Modelling'で、B面の'A1 Sound'は同じセッションで録音されたもので、キャプテン・シンバッドとリトル・ジョンがフィーチャーされた。これに続いた本人による'Progress A The Best'はレーベルのプロモーション活動の一環としてリリースされ、他にもこの時期にはレーベルのエクスプロージョン(Explosion)からアンソニー'ガンショット'ジョンソン(Anthony Johnson)の'Move In Move Out'がリリースされた。

キングストン11に住んでいた仲間のヘンリー'ジュンジョ'ロウズ(Henry ‘Junjo’ Lawes)はダンスホール期のトップ・プロデューサーとして成功へ道を駆け上がっていた。シンドバッドはジョン・ホルト(John Holt)の'Ghetto Queen'を使った'Rock It So Good'を録音すると、「それからジュンジョは俺にLPを作って欲しがった」という。


「俺はウォルトハム・パーク・ロードに住んでいて、アローズ(Arrows)からダンス、ダンスからチャンネル・ワン(Channel One)に行って一晩で8曲を録音したんだ!」

アルバム「Seven Voyages Of Captain Sinbad」はシンバッドがアーティストとして唯一リリースしたLPである。イギリスのグリーンスリーブズ(Greensleeves)からリリースされ爆発的な売上げをもたらした。トニー・マクデーモット(Tony McDermott)による極上のジャケット・アートワークは収録されたキャプテンの10曲が傑作であり、ダンスホールにおけるスターのニューウェーブであったことを物語る。アーティストとのすばらしい活動関係を保ったジュンジョは彼の抱える問題や苦悩を誰よりもよく理解していたのだ。ジュンジョも同じ背景の出身であったから彼らに対して忠実であり続けた。シンバッドはどうジュンジョとシンバッドがインスピレーションを共有し、彼らのアーティストを「賞賛と向上」のコンビネーションで手助けするか話しあったことを思い出して語った。

「ジュンジョは俺の親友だった。溢れんばかりのアイディアも持って業界に入ってきたんだ...とても創造的だった。ヴァイブスを持った男さ。題目をも与えてやらせるんだ。とても仕事がしやすいよ...彼は金のことを勉強させるジャマイカ最初のプロデューサーだったね」

「いくつかの45(7インチ盤)がランディーズ(Randys)からジャマイカで発売された」しかし、このアルバムはジャマイカでリリースはされなかった。このアルバムがイギリスで成功したことに後押しされ1982年、シンバッドはランキン・トレヴァー(Ranking Trevor)、イーク・ア・マウス(Eek A Mouse)、ビリー・ボヨ(Billy Boyo)と一緒にイギリスへと旅立ち、11ヶ月を過ごした。ジャマイカに帰国するもイギリスへとすぐに舞い戻り5年という月日を過ごすことになる。彼はイギリスのサウンドシステムの巡業についてまわり、色々なサウンドでディージェイを披露、ノースウエスト・ロンドンのハーレスデンで行われたサクソン・インターナショナル(Saxsone International)ダンスでライブ録音されたキャプテン・シンドバッドによるスタジオ・ワンの'One Step Beyond/Hi Fashion Dub'リズムで歌った'Sister Miracle/Myrtle'がレーベル、ラスティ・インターナショナル(Rusty International)からリリースされ1983年UKでメジャーヒットを記録した。このレコードはサクソンのダンスを盛り上げることになるも、リズムがミスター・ドッドの許可なしで使用されたことから、コクソンはニューヨークでスタジオ・ワンからの12インチ盤を発表したのだった。

「コクソンはこのことをいつもからかったよ。'この男はいつもスタジオ・ワンでやりたがる!'と言って」


また、シンドバッドはロンドンでレコードのプロデュースを行い、シンガーであるジョン・マクリーン(John McLean)の悲しげな'If I Give My Heart To You'で大ヒットを記録した。このレコードは彼の生意気なディージェイならびにダンスホール楽曲とは程遠いものだったが「イギリスに長くいれば、ラバーズのヴァイブスも芽生えるもんさ...当時ラヴァーズ・ロックはイギリスで本当にすごかったんだ」だという。マッド・プロフェッサー(Mad Professor)の運営するアリワ(Ariwa)レーベルからこのレコードはリリースされ、イギリスのナショナル・チャート入りすることはなかったもう少しでチャート入りを記録するほどだった...「俺はマッド・プロフェッサーに渡したんだ。大成功だったよ」

この頃からキャプテン・シンバッドはレコード流通業、特に輸出入に携わるようになり、その結果ジャマイカでプレスされたプレリリース盤を世界中に輸出する流通業者の1人になった。「ジャマイカとイギリスを行ったり来たり、行ったり来たり」と彼は当時のことを言及しているが、これによって多くのアーティスト、ミュージシャン、プロデューサー、卸業者、小売業者との関係を築いていった。

1989年キングストンに帰国するとレーベル、シンバッド・プロダクション(Sinbad Production)を立ち上げ、ゴスペル・フィッシュ(Gospel Fish)に始まりフランキー・ポール(Frankie Paul)、ケイプルトン(Capleton)、アンソニー・レッドローズ(Anthony Red Rose)、コブラ(Mad Cobra)、ジェネラルTK(General TK)、そしてロンドンを拠点にするネリウス・ジョセフ(Nerious Joseph)らのヒット曲一連を制作、7インチ盤、12インチ盤が続々とリリースされた。「すべてがヒット。俺たちには明確だったんだ」と本人は語る。シンドバッド・プロダクションから発表された「Sin Bad A Than Them」、「Gangster」や「The Ambush」といったヴァリアスのアルバム、コブラの「Merciless Bad Boy」などは現在当時の傑作盤と称されている。彼の終わりない作品郡は90年代前期、ラガの最前線に彼の地位を確立、キングストンとロンドンでの豊かな経験がもたらしたラガとラヴァーズ・ロックの融合作品を収録したLP「Romantic Ragga」も挙げておく必要がある。2005年、マキシマム・サウンズ(Maximum Sound)のフレンチー(Frenchie)と'World Jam'リズムを制作、旧新の長所が取り入れられてミックスされたこの作品でアンソニーB(Anthony B)、ビーニ・マン(Beenie Man)、バウンティ・キラー(Bounty Killer)、ルチアーノ(Luciano)、ヴァイブス・カーテル(Vybz Kartel)などのブランニュー・アーティストがすばらしいマッチを見せた。

長いキャリアを通してキャプテン・シンバッドのポジティブな性格、経験の深さ、音楽と音楽産業へ理解が彼に不動の地位をもたらした。レゲエ・ディージェイのほとんどはつかの間の成功を味わうことが出来るだけだったが、時代に適応しながら、時間を利用し海外で経験を積んでいた人も少なからずにいた。その1人がキャプテン・シンバッドである...



2011/02/25 掲載 (2012/11/09 更新)
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