多くの文化・人種がジャマイカで混ざり合い一つのまとまり「Out Of Many One People(多くの部族から一つの国民)*ジャマイカの標語」を作り上げた。音楽形式やミュージシャンの多くがジャマイカ国外に原点を持ち、そういった要素が豊かなジャマイカの音楽史で様々な角度から影響とつなぎあわされた。トリニダッド人のリン・テイト(Lynn Taitt)は最も重要な人物の1人である。
1934年6月22日にトリニダッドのサン・フェルナンドで生まれたニアリン'リン'テイト(Nearlin 'Lynn' Taitt)は自身の音楽のキャリアをスチール・パンの演奏者として「8歳か9歳の時に」始めた。15歳で彼はギターを習得しザ・ダッチー・ブラザーズ(The Dutchy Brothers)というバンドで演奏、その2年後自身のグループを組織にするために彼はザ・ダッチー・ブラザーズを脱退した。1962年にグループはバイロン・リーから独立記念祝典に参加するためジャマイカに来るようにいい渡された。リンはキングストンに残ることを決めザ・シークス(The Sheiks)に参加、そしてリン・テイト・アンド・ザ・コメッツ(Lynn Taitt and the Comets)を組織したがライブとレコード制作を始める前はザ・キャバリアーズ(The Cavaliers)に参加した。リンの最初のヒット・レコードはババ・ブルックス(Baba Brooks)と彼のバンドとともにキング・エドワーズ(King Edwards)のために録音した'Shank I Sheck'だった。
1966年にフェデラル・レコーズ(Federal Records)と契約した彼はリン・テイト・アンド・ザ・ジェッツ(Lynn Taitt and the Jets)を結成し最初のロックステディ曲と考えられているホープトン・ルイス(Hopeton Lewis)の'Take It Easy'を制作した。
「ホープトン・ルイスはフェデラル・レコーディング・スタジオに'Take It Easy'という曲とともに現れ、私にはスカが早すぎると感じていた。とても早いと。だからこの曲はゆっくりやろうと彼らに伝えた。とてもゆっくりにだ。音楽がゆっくりになるとスペースが生まれた。音楽がゆっくりになればなるほど、何か出来るスペースがさらに生まれる。だから私はベース・ラインを置きベースとともに演奏し、私はベース・ラインを演奏することが可能になったんだ。また時々ピアノをかき鳴らしたり、ベースとともにベース・ラインを演奏した。あれが最初のスロー・テンポの曲だった...その当時はゆっくりな楽曲は無かった。全てはスカだったな」リン・テイト
ロックステディにおいてベースは全てのビートを対等に強調しなくなったが、その代わりにリズムを分け、繰り返すパターンで演奏された。それからリズムの焦点はドラムとベースに置かれるようになった。スカの中心だったホーン楽器は影を潜めアメリカのソウル・シンガーたちに影響を受けたヴォーカリストたちは本領を発揮し始めた。この功績はザ・ジェッツのアレンジを担当していたピアノ奏者であるグラッドストーン'グラディ'アンダーソン (Gladstone Anderson)に与えられている。グラディはこの新しい音楽を'Take It Easy'の最終テイクを録り終えた後にリズムの特徴から"ロックステディ"と名づけた。周知にはあまり知られてはいないが彼はリンの通訳としての役割も担った。
ボビー・エイトキン・アンド・ザ・カリブ・ビーツ(Bobby Aitken and the Carib Beats)、時折リン・テイトをフィーチャーしたトレジャー・アイル(Treasure Isle)を所有するデューク・リード(Duke Reid)の専属バンド、トミー・マクック・アンド・ザ・スーパーソニックス(Tommy McCook and the Supersonics)、そしてスタジオ・ワン(Studio One)を運営するコクソン・ドッド(CS Dodd)のザ・ソウル・ブラザーズ(Soul Brothers)とリン・テイトの名前はクレジットされていないが彼を起用したソウル・ヴェンダーズ(Soul Vendors)などのロックステディ・バンドがあったがジャマイカ音楽史ではリン・テイト・アンド・ザ・ジェッツの業績に見合った評価はされていない。しかしリンはいつも控えめで、謙虚な人物だった。
"これがソウル・フードのレシピだ(A recipe for soul food)
いくらかの魂をくれ、ベイシー (Give me some soul Bassie) (Bryan Atkinson)
それにめいっぱいのドラムだ(A skinlfil of drums) (Joe Issacs)
グラディ、ピアノを鳴らしてくれ (A tickle of ivory Gladdy) (Gladstone Anderson)
ハックス、スカを少々加えてくれ(A dash of ska Hux) (Hux Brown)
そしてリン・テイトのストリングを少し...(A strings of Lyn Taitt)" ―Soul Food – Lyn Taitt and the Jets
そしてリン・テイトは2010年1月20日、カナダのトロントで帰らぬ人となった。
参考文献:
"Robert Schoenfeld: Interview with Lyn Taitt"
"Dub Catcher Volume 1 Issue 4 June 1992"