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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Skatalites
アーティスト特集
Skatalites(スカタライツ)Text by Harry Hawks
1965年から1965年までレコーディング・バンドとして一緒に活動したスカタライツだが驚くほど創造的だったこの2年でレゲエ史の模範となる作品郡を確立した。
Skatalites
メンバー Bass:
Lloyd Brevett
Lloyd Spence

Drums:
Lloyd Knibbs
Arkland 'Drumbago' Parks

Alto Saxophone:
Lester Sterling
Karl 'Cannonball' Bryan

Baritone Saxophone:
Karl 'Cannonball' Bryan

Tenor & Baritone Saxophone:
Dennis 'Ska' Campbell

Trumpet:
Oswald 'Baba' Brooks
Reverend Billy Cooke
Percival Dillon
Bobby Ellis
Raymond Harper
David Madden
Johnny 'Dizzy' Moore

Trombone:
Don Drummond
Emmanuel 'Rico' Rodriguez
Ron Wilson

Organ & Harmonica:
Charles 'Charlie Organaire' Cameron

Piano:
Gladstone 'Gladdy' Anderson
Jackie Mittoo

Guitar:
Jerome 'Jah Jerry' Hines
Harold McKenzie
Nerlyn 'Lyn' Taitt
Ernest Ranglin

Vocals:
Doreen Schaffer
Tony Da Costa
Dobby Dobson
Tony Gregory
Jackie Opel
Lord Tanamo
活動期間 1963年 ~ 1966年
結成地 ジャマイカ キングストン 
「個々に最高レベルの演奏技術を持ち合わせたミュージシャンによって構成されたスカタライツ(Skatalites)は一丸となり至高のサウンドを生み出した」

ジャマイカにおけるサウンドシステムの鼓動をハードなアメリカ産リズム・アンド・ブルースの供給が1950年代を通して担っていたが、50年代後期になるとアメリカのリスナーが攻撃的ではなく柔らかなサウンドを好むようになったことでジャマイカの音楽シーンは衰退を見せ始めた。激化するサウンドシステム同士の競争の中で、敵対するサウンドの一歩先を行こうと攻撃的なサウンドシステムのオペレーターたちはキングストンのジャズやビックバンド界のミュージシャンを使い、単発のライブ音源を'アセテート盤'へ録音し始めた。

「こういった新しい歌をプロデュースする目的は、支持してくれる人たちが楽しく踊ったり、聞いたり出来るようにするためだった」

ジャマイカのジャズ・ムーブメントは1954年にキングストンのワード・シアターで開催された初の大規模なジャズ・コンサートによって始まった。このショーにはアルファ・ボーイズ(Alpha Boys)出身のウィルトン・ゲイナー(Wilton Gaynair)、ノエル・ガレスピー(Noel Gillespie)、ジョー・ハリオット(Joe Harriott)、ハロルド・マックネアー(Harold McNair)を含むジャマイカ・ジャズ界のスターが出演するも、ジャマイカには音楽キャリアを発展させる機会がなかったことから彼らは海外へと旅立っていった。しかし、ローランド・アルフォンソ(Roland Alphonso)、オズワルド'ババ'ブックス(Baba Brooks)、ドン・ドラモンド(Don Drummond)、トミー・マクック(Tommy McCook)、アーネスト・ラングリン(Ernest Ranglin)といったジャズ演奏者の第2世代は確立した楽器演奏者として出身地であるジャマイカで、前記したサウンドシステムの運営者たちのために録音を開始、彼らが吹き込んだアセテート盤はサウンドシステムが独占的にプレイするためのものだったが、需要の増加にともない彼らはレコード盤としてプレスしてリリースするという商業的な方法を取るようになった。

これらのレコード盤は単純にアメリカ産リズム・アンド・ブルースの雰囲気や魂を映し出そうとする作品以上へと発展していく。創造された新たなサウンドは完全なるオリジナルだっただけでなく、発達過程でざまざまな影響を受けることになる。激しいドラムにアメリカのリズム&ブルースやブギー・ウギーからのベース、スタン・ケントン(Stan Kenton)やデューク・エリントン(Duke Ellington)といったビッグ・バンドによる影響、40年代のスウィング・バンドに即興演奏のビバップ、南アメリカのラテンとサンバによる影響がアフリカのブル・ドラミング、ポコマニアやジョンカヌーといった宗教的儀式やドラム演奏技術、ラスタファリアンの観念、クアドリルの儀式、典型的なメント、ジャマイカの物語がすべて一緒となって混ぜ合わさり、疑うことないジャマイカ固有の音楽を生み出した。スカの語源ははっきりとしていないがミュージシャンたちの多くはお互いを急いで演奏させようとした「スキャ、スキャ、スキャ」という擬音語だという。

バンド名を命名したのはトミー・マクックだった。「誰かが'ザ・サテライツ(The Satellites)'と提案した...ディジーかロイド・ニブス(Llyod Knibbs)、兄弟の誰かだった。でも俺は言ったんだ...俺たちが演奏していたのはスカだから'ザ・スカタライツ(The Skatalites)'だと」スカタライツは1963年キンスグトンのオデオン・シアターで行われた集まりで正式に結成された。彼らはすぐにレイ・タウンのハイ・ハット・クラブで初ライブを披露、それからの2年間、ラ・パリジェンヌ(*クレメント'コクソン'ドッドのC & Nレコーズからリリースされた'Roland Alphonso & Orchestra'による不朽の名作'Ska La Parisienne'で知られる)、オレンジ・ボール、ボーンマス・ビーチ・クラブなどといった現場で演奏を行った。彼らが最後のショーで演奏したのは1965年8月ランナウェイ・ベイ・ホテルで行われた警察主催のダンスだった。

彼らが録音スタジオから発表したレコードの数、そしてプレイ数、彼らが変わらず保った素晴らしい作品の高い質は驚くものだった。ロイド・二ブスとロイド・ブレヴェット(Lloyd Brevett)によるリズム・セクションを取り囲んだジャー・ジェリー(Jah Jerry)に、若きジャッキー・ミットゥー(Jackie Mittoo)、さらにローランド・アルフォンソ、ドン・ドラモンド、トミー・マクック、ジョニー'ディジー'ムーア(Johnny Moore)、レスター・スターリング(Lester Sterling)といった威厳あるソロ演奏者たちは無数のイントゥルメンタル楽曲を録音しただけでなく、この凝縮された創造期にあらゆるシンガーやヴォーカル・グループのバック演奏も務めた。バンドでメンバーを牽引する主要人物となったのはドン・ドラモンドで、1934年キングストン生まれの彼は伝説のアルファ・ボーイズ・スクール出身で同校のバンドでも重要な役割を担っていた。1954年、ジャマイカで最優秀トロンボーン演奏者に選出された彼は翌年世界的に有名なエリック・ディーンズ・バンドに参加。彼にとって最初の録音となったのはオーウェン・グレイ(Owen Gray)がクレメント'コクソン'ドッド(CS Dodd)のために「海辺でサー・コクソン・ザ・ダウン・ビートの音楽に踊り」と歌った'One The Beach'でのバック演奏だった。この作品はコクソンのレーベル、カリブー(Cariboo)からリリースされている。

マルチ・トラックでの録音やミュージシャンの追加録音が可能になる以前、ボーカリストを含め、録音は最初から完璧であることが求められ、ミスの余地はなかった。

「当時あったのは2トラックでの録音だ。スカタライツに言えるのは、ホーンの男たちも録音しなきゃいけなったってこと。シンガーもみんな一緒にやって、誰からが間違えれば最初からさ」バニー'ストライカー'リー(BunnyStriker Lee)

レコーディング・スタジオは明白に多忙になっていった。スカタライツの無制限なオリジナリティ、創造的な熱意を前にアメリカ産R&Bのレコードの音は時代遅れを象徴するようになった。彼らの複雑なリズム、個人としてそして集団として刺激し合うミュージシャン、そうしてアメリカの音楽は若きジャマイカの音によって取って代わっていった。

スカタライツの活動は短期間であった。ドン・ドラモンドは内縁の妻、ダンサーだったマルガリータ・マーフード(Margarita Mahfood)を殺害した罪に問われ、彼はキングストンの悪名高きベルビュー精神病院に監禁され、バンドは大きな痛手を負った。決定的なスカの音の大部分を創造した人物だが、彼の苦悩はスカの衰退の前兆だったと言えよう。謙虚な天才は1969年ベルビュー精神病院で死去した。

「ドンは...生活に起伏があったんだ。けど、こういった不幸な話は彼の演奏する黄金の旋律を聞けばすぐに忘れてしまう」

才能あるミュージシャンが多く存在したことは間違いなく激しいライバル敵対関係を生み出した。しかし、スカタライツの解散はおそらく組織的、個人的な財政難であった。ジャマイカの音楽がゆっくりとなり、ロックステディに移行すると、ジャッキー・ミットゥーとローランド・アルフォンソはボンド・ストリートのスタジオ・ワン(Studio One)でソウル・ブラザーズ(Soul Brothers)を結成、トミー・マクックはデューク・リード(Duke Reid)のハウス・バンド、スーパーソニックス(Supersonics)を率いた。また、彼がトレジャー・アイル(Treasure Isle)の音楽コーディネーターとしてサックス・演奏者のハーマン・マークイス(Herman Marquis)と活動を続けた。スカタライツのメンバーだった他の演奏者も60年、70年、80年代を通して活動を行い、ロックステディやレゲエにおける無数の録音で彼らは存在感を保ち続けた。

1984年、スカタライツの元メンバーはジャマイカとイギリスの「レゲエ・サンスプラッシュ(Reggae Sunsplash)フェスティバル」に出演するためにグループを再結成。それ以降、グループで元々パフォーマンスを行っていたドリーン・シェーファー(Doreen Schaffer)をフィーチャー、またジャマイカ音楽界の伝説、セドリック'イム'ブルックス(Cedric Im Brooks)を引き入れてから世界中で公演を行ってきた。

「聞こえるように簡単じゃない。ジャマイカだけでなく、他の国でも、みんな喜んで聞いているように見えるかもしれないが、完璧なビートを得るために何年もの研究と調査があった」

ジャマイカにおけるサウンドシステムの敵対関係から派生し、大きく成長したスカ・ミュージック、不滅の価値を創造したスカタライツ、彼らの影響は世界へと広がり、人々がこの音楽を聞き、踊り続ける限り、時間を超越した彼らの人気は永遠となるだろう。
2018/03/22 掲載
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