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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Leroy Smart
アーティスト特集
Leroy Smart(リロイ・スマート)Text by Harry Hawks
ゲットー出身のリロイ・スマートはその逆境からインスピレーションを授かり、孤高にも真の才能を必死になって示した。彼は、いつもの日も一流として存在し続けるだろう。
Leroy Smart
出生 1952年
出身地 ジャマイカ キングストン 
「ヘイ、ヘイ、みんな俺の名前はミスター・スマート(Mister Smart)だ」...'Mr. Smart'リロイ・スマート(Leroy Smart)

1952年に生まれたリロイ・スマートの駆け出し時代は、心地の良い椅子に座って読みたいと思うとても興味深い伝記のようだが、許しがたい現実を本当に自分が生きなければいけないとしたらそれはまったく別の話である。彼は2歳で孤児となり、母親、父親、親戚を失った赤ん坊の彼はマックスフィールド・パーク・チルドレンズ・ホームに入れられ、その孤児院で12歳になるまで過ごした。それからジャマイカの偉大な音楽の巨匠たちが卒業したアルファ・カソリック・ホーム・スクールに送られると、「修道女たちの厳しい指導と管理」のもとに彼は優秀なキャリアの第一歩を歩み始めた。リロイはアルファの聖歌隊で重要なメンバーでありながら、靴職人としての技術を学んだ。

16歳になるとリロイは厳しい外の世界へと送り出され、その現実に直面することになった。モナ・ハイツでまかないつきの仕事、それから家のなかった彼は夜になると工事現場で寝てはそのまま仕事をしたりと職を転々としていた。音楽業界での活動を望むも度々かさなる苦悩が続いた。しかし厳しいキングストンのゲットーでの生活に始まり、後にとてつもない評判となり、さらには伝説となったのだが、「俺に唯一罪があるとすれば、それは自分自身を強固に守っていたこと」だと彼は述べている。

彼の燃えたぎる野望はエンターテイナーになることで、毎日ラジオで「多くのロックステディ・シンガーを聞き、いつの日か彼らのようになることを夢見た」自分の気持ちに抵抗できないリロイは「成功したシンガーが出入り、住んでいる場所」キンスグトンのダウンタウンに引き寄せられた。1972年、リロイは道端で伝説のプロデューサー、ジミー・ラドウェイ(Jimmy Radway)に駆け寄り、歌を書いてほしいと頼んだ。「親父が...俺のために曲を書いてくれたんだ!」エロール・ダンクリー(Errol Dunkley)の'Black Cinderella'で勢いに乗っていたジミー・ラドウェイだったが、「いつもリロイ・スマートの声を気に入っていた」ことから、彼はあの素晴らしい'Mother Liza'を書いた。ボビー・エリス(Bobby Ellis)とリチャード・'ダーティー・ハリー'ホール(Rechard 'Dirty Harry' Hall)が「サビにゆったりとしたスカの演奏を吹き込んだ」ことでリロイにとって初めてのヒットとなり、その後、ジミーとリロイは自慢に満ちた'Mr. Smart'を録音、彼の経歴や彼が誰であるか何処に向かっているのかを明確に述べた作品で、さらに思索にふけった'Mirror Mirror'が続いて発表された。

リロイはヒットにヒットを重ねて、バニー'ストライカー'リー(Bunny Striker Lee)のために録音した'God Helps The Man'はその一例で、このプロデューサーは「彼にとって初期作品の一つだ。これは俺が初めてリロイ・スマートと制作した最初の曲だったが、彼は他にも自分で制作をしていた」と当時を語っている。また、若きプロデューサー、ガッシー・クラーク(Augustus Gussie Clarke)と一緒に録音・制作した重要楽曲'Pride And Ambition'はボブ・マーリー(Bob Marley)のレーベル、タフ・ゴング(Tuff Gong)からリリースされた。同じく重要作品である'From Ethiopia'はジョー・ギブス(Joel Gibson)、'Keep On Trying'はビッグ・ユース(Big Youth)のレーベルからリリースされ、キングトンにおける一流ヴォーカリストとして最前線で活躍するまでになった。

マックスフィールド・アヴェニューでフーキム兄弟(Hookim Brothers)が運営したチャンネル・ワン(Channel One)では、代表作となる'Black Man'、'Jah Jah'、'Meaning Of Life'、'Badness Don't Pay(*LPの回転数で再生する7インチ盤、'Channel One Economic Package'としてリリースされた)'など、その作品は他に劣ることはめったになかった。しかし、永遠の傑作となったのはウェル・チャージ(Well Charge)から7インチ盤で発表された'Ballistic Affair'だった。リロイのソウルフルな感情が、仲間同士がキングストンのゲットーで争いコミュニティーが分裂する様を語り、問題の核に迫った。

リロイが育ったラフでタフな環境は彼に長年ゲットーにおける貧困の本当の敵は誰なのか?...ということを示してきた。それは間違いなくすぐそこの道端で、同じようなゲットーで苦労している兄弟ではないと分っていた。後にフーキム兄弟のジョジョ(Joseph Hookim)はミスター・スマートがお気に入りアーティストだったと回想する...「また一緒にやるとしたらリロイ・スマートだけだ」

"The Don"として知られるようになったリロイの豪快なステージ・ショーは楽しませるパフォーマンスが大半で、彼の素晴らしい声と同様にアクロバティックなパフォーマンスは目を見張るものだった。1978年、セオドロス・バファルコス(Theodoros Bafaloukos)が監督・制作した映画「Rockers」に登場したことで彼の存在は伝説となっていき、70年代から80年代、音楽の過渡期にあっても、リロイはチャートから遠い存在ではなかった。「自分自身、そして他の人のために働くことで自分を確立していった...」彼はヘンリー'ジュンジョ'ロウズ(Henry ‘Junjo’ Lawes)との豪快な'Trying Very Hard'など多くの一流プロデューサーと録音を行うかたわら、自身のレーベル、ワールド・ワイド・サクセス(World Wide Success)のためにセルフ・プロデュース業を集中して行い、女性を軽蔑した'She Just A Draw Card'や大げさな'I Am The Don'などを発表した。

「孤児からスーパースターへの野望...」

30作以上のLPアルバム、そして無数の7インチ盤にクレジットされているリロイはスタジオでのレコーディングとなるとすべてのリリースにおいて100%以下の力で行うことはなく、前進のみだった。彼の長いキャリアは成功を収め、何千もの素晴らしいアーティストの中で、ミスター・リロイ・スマートの名前はいつも誇り高くあろう。

2019/03/15 掲載
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ジャケの上部にテープ跡がございます。
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