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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Winston Scotland
アーティスト特集
Winston Scotland(ウィンストン・スコットランド)Text by Harry Hawks
70年代初期の偉大なるディージェイのオリジネーターたちと一緒に挙げられるべく名がウィンストン・スコットランドである。
Winston Scotland
出身地 ジャマイカ  
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ダブストア(Dub Store)のアーティスト・プロファイルの大部分はこれまで良く知られたアーティストやレコード・プロデューサーに焦点が当てられてきた。しかしながら'良く知られた'とは的確に何を意味するのだろう?ボブ・アンディ(Bob Andy)や(Marcia Griffiths)などこれまで取り上げられてきたアーティストが(ボブ・アンド・マーシャ/Bob & Marciaとして)世界的なクロスオーバーにおける成功を手にする中、一部はクロスオーバーにおける成功をまったく獲得することができなかったがレゲエ界では上出来なキャリアを一貫して味わってきた。ある者は単発的な成功しか達成できなかったが膨大なレゲエの歴史書の記載されたわずかにリリ-スされた楽曲の力強さにより長年に渡ってカルト・アーティストとして敬愛され、彼らのヒット曲、ヒットになりかけた曲、ならなかった曲、もしくは使われなかった曲は美しくも解説付きのCDに収録され、彼らの伝説が永遠に忘れ去られないようにコンピレーション化が続けられている。しかしながら、かつて大人気だったにも関わらずレゲエ愛好家が真剣に考えることのないアーティストは今も何人かいて、そんなアーティストの1人がウィンストン・スコットランド(Winston Scotland)である。

ジャマイカにおけるディージェイの誕生は50年代後期から60年代にかけて伝説のMIC、カウント・マチューキ(Count Matchuki)やサー・ロード・コミック(Sir Lord Comic)らによって始まり、彼らによるとびきりのリリックのほとんどがライブで生暖かいキングストンの夜に消えて無くなっていった。彼らがレコーディング・スタジオに足を運んで残したその作品は数えるほどだがスカやロックステディのレコードに残された。しかし、その名がクレジットされることは普通なかった。この傾向を変えた最初のディージェイはキング・スティット(King Stitt)で、70年代初期のことだった。彼がクランシー・エックルズ(Clancy Eccles)のために制作した'Herb Man'や'Fire Corner'など一連のレコードは大きな人気を集め、彼はデューク・リード(Duke Reid)のトレジャー・アイル(Treasure Isle)で'Woke the Town and Tell The People'録音することになるUロイ(U Roy)に機会を与えたのだった。彼はUロイ・ジュニア(U Roy Junior)、デニス・アルカポーン(Dennis Alcapone)、リジー(Lizzy)、スコッティ(Scotty)、Iロイ(I Roy)そしてウィンストン・スコットランドなど70年代におけるディージェイたちの模範を確立したのだった。

Uロイの義理の兄弟だと噂されたほどウィンストン・スコットランドはディージェイという芸術の発展初期における偉大なる代表的人物の1人であることに間違いない。レゲエ歴史家のスティーブ・バロウ(Steve Barrow)がUブラウン(U Brown)にインタビューを行った際、彼はウィンストン・スコットランドがもともとフィリップ・モンロー(Phillip Monroe)のサウンズ・オブ・ミュージック(Sounds Of Music)サウンドシステムのディージェイであったと言った。

「俺が始めてディージェイを始めたサウンドの名前はタワー・ヒルのシルバー・ブレット(Sliver Bullet)で、タワー・ヒルのタワー・アヴェニューを少しは入ったフィリップ・アヴェニューでやってた。俺がそのサウンドでディージェイを始めて、ダンスを運営していた友人の1人がサウンドを起用していたんだけど、たまたまその時ディージェイがいなかった。そのサウンドでディージェイするはずだったのはウィンストン・スコットランドだった。そのサウンドの名前はサウンズ・オブ・ミュージックでフィリップ・モンローという名前の男がオーナーだった。俺の友人がそのオーナーに俺をサウンドに起用できるかとたずねたんだ。そして俺は喜んでその仕事を引き受けたさ。俺は15歳ぐらいだったよ」Uブラウン

ウィンストン・スコットランドはレーベル、サウンズ・オブ・ミュージック(Sounds Of Musik)で'Swing And Sway'とフィドラーズ(The Fiddlers)としてクレジットされた'Violin Rock'の2曲を録音した。また、ジョー・ギブス(Joel Gibson)のためにも制作を行い、ピーター・トッシュ(Peter Tosh)の'Maga Dog'に対するウィンストン・スコットランドのヴァージョン'Skanky Dog'を残し、バニー・フィリップ(Bunny Flip、本名Bunny PhippsもしくはPhillips)としてクレジットされプレッシャー・ビート(Pressure Beat)からリリースされたが、一方の'Scar Face'はウィンストン・スコットランドとしてクレジットされジョー・ギブス(Joe Gibbs)のグローブ(Globe)からリリースされた。

彼はその後、非の打ち所のない録音をプリンス・トニー・ロビンソン(Prince Tony Robinson)のために行い、当時も斬新で革新的だったサウンドは今聴いても変わらない。彼が持った独自の声のトーンと完璧なる独自のアプローチによって彼の名は注目を集めた。数えられるほどのレコードもトロージャン(Trojan)やパーマー・ブラザーズ(Palmer Brothers)を通してロンドンで発表された。プリンス・トニー(Prince Tony)が制作した'You Don't Care/ You'll Want Me Back'の素晴らしいヴァージョン'Buttercup'はパーマ(Pama)傘下のパンチ(Punch)からリリースされ人気を集めると1972年イギリス・リリースのためにメジャーレコード会社のフィリプス(Phillips)にライセンスされるもUKナショナルチャートにおいて不思議にもクロスオーバーのヒットとなることはなかった。'Keep On Skanking'、'My Little Filly'、'Power Skank'、'Quick & Slick'や'On The Track'などプリンス・トニーのために制作した楽曲はレーベル、ハイ・スクール(High School)から発表され、'Love Is Not A Toy'はパイレート・レコーズ(Pirate Records)からリリースされ、それそれが最高傑作として認められている。

さらにタファリ(Tafari)で、素晴らしい'Zion Fever'やリトル・ロイ(Little Roy)の'Prophecy'を使った初期ヴァーション'Prophecy Rock'を残すも、事実、音楽の世界からその姿を消した。「なぜ、どこで、どうやって」姿を消したのか推測することは無意味だが、彼の革新的な作品は彼と同時期に活躍したアーティストらが残りした作品に向けられる敬意とは程遠いのが真相だ。様々なアーティストが収録された回顧的なコンピレーションに数少ない彼の楽曲が収録されていることを除いては、彼のレコードが再プレスされたり、再リリースされたことはない。数年前にはBBCラジオ・ランカシャーの世界的に有名な番組「On The Wire」がウィンストン・スコットランドのショーケースを放送し、ウィンストン・スコットランドのあまり覚えられていないが好奇心をそそる画期的な全作品への興味を多少なりとも火をつける手助けとなった。

故意的に無名であったわけでも、アーティストを独占的に発展させようとしたわけでもないが、ウィンストン・スコットランドの音楽と名前、そしてディージェイとしても貢献はもっと知られ、世界中で愛されるべき価値を持ち合わせている。

2018/02/13 掲載
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