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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Pat Kelly
アーティスト特集
Pat Kelly(パット・ケリー)Text by Harry Hawks
洗練されたソウルフルなファルセット、天性の才能を授かったシンガーのパット・ケリーは熟練したレコーディング・エンジニアでもあった。
Pat Kelly
出生 1949年
出身地 ジャマイカ キングストン 
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「彼はとてもクールな若者だった...パット・ケリー(Pat Kelly)は最も偉大なシンガーの1人だ」バニー'ストライカー'リー(Bunny Striker Lee)

1944年ジャマイカのキングストンに生まれたパット・ケリーはキングストン技術学校で電気工学を学びながら'プリンス・ジャミー(Prince Jammy)'として知られたロイド・ジェームス(Lloyd James)と一緒にキングストンのダウンタウンにあるチンズ・ラジオ(Chin's Radio)でアルバイトをしていた。彼は奨学金を与えられ3年間アメリカのマサチューセッツ、スプリングフィールドで就学、上級の電気工学において学位を取得した。キングストンに戻るとパットはザ・シェリドンズ(Sheridons)と呼ばれるグループをウィンストン・フランシス(Winston Francis)、オーウェン・ロバーツ(Owen Roberts)、エドウィン・ブラウン(Edwin Brown)と結成、カルロス・マルコム(Carlos Malcolm)のレーベル、アップ・ビート(Up Beat)で'Merry Christmas'と'This Is My Last Letter'の2曲を解散する1967年までに録音した。そしてパットはテクニクス(Techniques)に勧誘され、ユニークス(Uniques)結成するためにグループを脱退したスリム・スミス(Slim Smith)のポジションに取って代わった。

ザ・テクニクスがインプレッションズ(Impressions)の'You'll Want Me Back'をカヴァーした'You Don’t Care'ではパットがリードを務め大ヒットを記録、6週間に渡ってジャマイカのチャートで1位を保持し続けた。カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)が作曲した'Minstrel & Queen'をテクニクスが'Queen Majesty'として再演、これら2曲はたびたびヴァージョン化され、ボンド・ストリートで生まれた真の傑作は結果ジャマイカ音楽界において伝説としてのステータスを得た。そしてパットをリード・ヴォーカルに起用したテクニクスはトレジャー・アイル(Treasure Isle)で彼ら最大のヒット'My Girl'、'Love Is Not A Gamble'、'It's You I Love'などを放った。

「当時パット・ケリーの楽曲と言えば'How Long'だな...彼は他のヒット曲も作ったが'How Long'よりも大きなヒットはなかったよ」バニー・リー

彼にとって初めてのソロ録音は1968年、バニー'ストライカー'リーのために録音した'Somebody's Baby'だったが、パットのキャリアが飛躍したのは彼がバニー・リーのために'How Long Will It Take'を真新しい早いレゲエのスタイルで録音してからだった。これは1969年にパマ(Pama)の傘下レーベル、ガス(Gas)からロンドンでリリースされ、オーバーダブの施されたバイオリンのアレンジをフィーチャーしたジャマイカ初のレコードの一つとされる。さらに、'If It Don't Work Out'と題されたジョンDラウダーミルク(John D. Loudermilk)の'Then You Can Tell Me Gooodbye'をヒットさせ、両楽曲ともバニー・リーが制作しリー'スクラッチ'ペリー(Lee Perry)がエンジニアを務めたアルバム「Pat Kelley Sings」にソウル楽曲の傑作とされる'Dark End Of The Street'や'Tracks Of My Tears'と一緒に収録された。

1969年12月パットはイギリス・ツアーを行うとザ・ビートルズは彼らが新たに設立したレーベル、アップル(Apple)のために彼と2万5千ポンドで契約を結ぼうとしたと言われている。しかし不運にも他の契約があったため彼は契約を結ぶことができなかった。ジャマイカに帰国したパットはフィル・プラット(Phill Prat)のために'Soulful Love'や'Talk About Love'などのヒット・レコードを作り続け、デューク・リード(Duke Reid)のもとでカヴァーしたジョン・デンヴァー(John Denver)の'Sunshine'は大ヒットした。70年代の終わりにはジョー・ギブス(Joe Gibbs)からディスコ・ミックス'It's A Good Day'が発表されもう一つの傑作としてその名を連ねている。

70年代にはランディーズ(Randys)、チャンネル・ワン(Channel One)、キング・タビー(King Tubby)のスタジオなどでフリーランスのレコーディング・エンジニアとしても活躍した。また、1975年キング・タビーのもとで活動していたフィリップ・スマート(Philip Smart)がアメリカに移住した際には一時的な代理として70年代後期までドロミリー・アヴェニューに構えられたキング・タビーのスタジオで活動。彼がミックスした作品に彼の名がクレジット記載されることは稀だったが、アイ・コング(I Kong)の名で知られたリッキー・ストーム(Rickey Storme)がレーベル、アース(Earth)からリリースし、アイ・パット(I Pat)とクレジットされた'Trod Along (Zion Pathway)'のB面で彼のコントロール・ボードにおける腕前を聴くことができる。

パット・ケリーはキャリアを通して控えめに録音を続けたジャマイカ最高のシンガーであり、彼の滑らかで、洗練されたヴォーカル・スタイルは70年代を飾ったルーツ・ミュージックと80年代のラフなダンスホールのスタイルではしばし風変わりなものだったが、彼の傑作録音のみで構成される密なカタログは彼の人気が絶対に弱まらないことを保証している。
2012/02/16 掲載 (2012/10/19 更新)
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