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トップ特集・オリジナルコンテンツレーベル名鑑Treasure Isle
レーベル特集
Treasure Isle(トレジャー・アイル)Text by Harry Hawks
トレジャー・アイルは至上のスカ、偉大なるロックステディ、独創的なレゲエを輩出した場所だっただけでなく、ディージェイやダブが生まれた場所としても知られる。
Treasure Isle
設立地 ジャマイカ キングストン 
主要スタジオ
Treasure Isle Studio
設立者
Duke Reid
プロデューサー
エンジニア
Byron 'Baron' / 'Smithy' Smith
Errol Brown
関連アーティスト
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1915年に誕生したアーサー'デューク'リード(Arthur 'Duke' Reid)は、ジャマイカで警察官として10年間の職務に就き、腕利きの射撃手として知られるようになった。仕事を辞めた後、キングストンのピンク・レーンでトレジャー・アイル・リカー・ストア(Treasure Isle Liquor Store)という酒屋を開業。誇張するつもりはないが、この時彼が取った行動は20世紀の終わりの時点で音楽制作のプロセスに対する根本的な我々の考えを覆すことになった。

1953年、デューク・リード(Duke Reid)は初めて自分自身のラジオショー"Treasure Isle Time"をR.J.Rラジオでスポンサーする個人起業家になり、ラジオ番組は彼の酒屋、ラム・バー、サウンドシステムの宣伝を行なった。彼のアンプを通したサウンドシステムから聴かれる重厚でクリアーな音、そして彼が保有した78回転盤、アメリカのリズム・アンド・ブルースからなる唯一無二のダンス・セレクション、とにかく彼の音は敵知らずだった。1956年、1957年そして1958年、3年連続で"King Of Sound And Blues"の王冠を飾った。しかし50年代も終盤に差しかかるとアメリカ国内のリスナーの傾向は"やさしく、より耳にしやすい"方向へと向かっていった。そこで、キングストンのサウンドシステムのオペレーターたちは彼ら自身でリズム・アンド・ブルースを録音し、アセテート盤を特注で制作し始めた。それが瞬く間に人気を集めると、多くの人たちは商売としてレコード盤を商売にするためリリースし始めたのだった。

デューク・リードの作品はアメリカのリズム・アンド・ブルースがジャマイカで聴かれていた時期まで遡る。1960年、彼は音楽業界から一歩引くも、その2年後ザ・ストレンジャー(|The Stranger※ストレンジャーコール:Stranger Cole)の'Rough And Tough' が大ヒットし再び業界に姿を現した。トレジャー・アイル・リカー・ストアが1964年ボンド・ストリートに移ると、デュークは店の上にレコーディング・スタジオを建設、木造だったトレジャー・アイル・レコーディング・スタジオ(Treasure Isle Recording Studio)は作品に暖かさと豊かさをもたらした。それからの10年の間に無数の傑作がエンジニア、バイロン'バロン'/'スミシー'スミス(Byron 'Baron' / 'Smithy' Smith)のコントロール下から輩出された。

トミー・マクック&ヒズ・スカ-タライト(Tommy McCook & His Ska-talite)がデュークのスカ録音の大半を担っていたが、スカタライツ(Skatalites)が1965年の夏に解散すると、トミー、マクックはトレジャー・アイルのハウス・バンド、トミー・マクック&ザ・スーパーソニックス(Tommy McCook & The Supersonics)のリーダー兼音楽責任者となった。そうして翌年、ロックステディの到来でトレジャー・アイルの音は、この落ち着いた音楽、ロックステディの優雅さを示す手本となったのである。しかし、デューク・リードの音楽制作に対する非論理的で型破りなアプローチは不思議なものだった。そう、最後の結果だけはこの上ないものだったからである。

「...もし君が彼のスタジオに行ったら、彼はこう言うだろう"お前は何でここに来たんだ?ビジネスがあるのか?"って。そう言って彼は来客が走って逃げるように銃口を頭部の上をめがけて一発放つんだ...だからみんなデュークには怯えていたよ。でも彼が寄ってきて"こうしてくれないか"って言うだろ、アーティストは"バッ、バッ(コーラス)"って、そう言うと彼は"いいや、違う!もう一回聞いてくれ...ビー、バッ、バー(コーラス)"というやり取りをするのさ。そうすると彼らは"デューク、コードに合わないよ"と言うんだけど、デュークは"やってみろって...やって俺に見せてくれ"って言って、銃を2発撃つんだ。彼らは忙しく走り回ってね!デュークはアーティストから素晴らしいものを引き出していたよ...だから俺にはたくさんのヒットがあるのさ」バニー'ストライカー・リー'(Bunny Striker Lee)

1968年も終わりに迫ると、ジャマイカの音楽はスピードの速いレゲエ・スタイルのリズムに変貌を遂げ、新しいプロデューサーたちが出現し始めた。トレジャー・アイルは新人プロデューサーたちに負けを劣らずその地位をキープしようと戦っていた。翌年、デュークは'Lock Jaw'の録音のためにリー'スクラッチ'ペリー(Lee Perry)を雇った。この作品はかなり過小評価されていたシンガー・ディージェイのデイブ・ベーカー(Dave Baker)をフィーチャーし、アップセッター(Upsetter)の名義でトレジャー・アイルからリリースされた。その後のジャマイカの音楽を大きく左右したダブやディージェイの方向性を示した初期レコードの一作でもある。

キング・タビー(King Tubby本名Ruddy Redwood)が初の"ヴァーション"を制作するために楽曲'You Don’t Care'もしくは'On The Beach'のヴォーカルを抜いてスペシャル・ミックスしたという物語は何度も話されてきた。どちらの楽曲が最初だったかは確かでないが、トレジャー・アイルのリズムが'ヴァーション'を生み、結果として'ダブ'も生み出したことは紛れもない事実である。

Uロイ(U Roy本名Ewart)がマイクを握る中、キング・タビーのホームタウン・ハイ-ファイ(Home Town Hi Fi)は歌詞が随所だけに残されたオリジナル楽曲のヴァーションをプレイした。デニス・アルカポーン(Dennis Alcapone)を含むほかのディージェイたちはリズムに乗りながら'トースティング'で個々のスタイルを発展させ始め、Uロイはダンスホールで生まれたエネルギーをレコーディング・スタジオへと転移させたのだった。Uロイとデュークは偉大なるトレジャー・アイルのロックステディ・リズムを使い'Wake The Town'や'Wear You To The Ball'、'Rule The Nation'の3曲を7インチレコードで発表、1970年のジャマイカン・ヒット・パレード(Jamaican Hit Parade)で同時に1、2、3位を獲得、ジャマイカの音楽史にその名を刻むことになった。これらの録音は新鮮だったディージェイという音楽の形を確立し、後に発表されたアルバム「Version Galore」は最も重要なレコードの1つとして考えられている。

「Uロイはシンガーじゃない。楽器を演奏するわけでもない。彼はディージェイするだけ。彼の音楽が聴かれると音に好奇心をもたらす。彼のコメントがヴァージョンのテープに追加録音されている。(ヴァーション:楽曲における楽器演奏)」アルバム「Version Galore」より

ジャマイカ音楽の発展において次なる重要な段階となったのがラスタの存在である。彼らがレベル・ミュージック、反逆の音楽を生み出すのだがデューク・リードにはあまり意味を持たなかった。確立した音楽プロデューサーとして国家当局に大いなる敬意を持ち、それらを信じていた人物が反逆すればすべてが矛盾する結果になるのは当然。しかし、彼はその姿勢を決して非難される人物ではなかった。デユーク・リードは過去にデニス・アルカポーンがラスタの歌詞を録音しようとするのをこう言って拒否したという。

「俺自身、バビロンさ」デューク・リード

1974年、デューク・リードが癌で死去すると、トレジャー・アイルの見習いエンジニアだった彼の甥、エロール・ブラウン(Errol Brown)がスタジオをコントロールするようになった。一方、ハイ・ノート(High Note)とゲイ・フィート(Gay Feet)で知られたソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)が運営した有限会社ディスク・プレッサーズ(Disc Pressers Limited)を通してデューク・リードの音楽を再発リリースすることでトレジャー・アイルは注目され続けた。デューク・リードが録音した至上のロックステディをフィーチャーしたアルバム「Hottest Hits Volumes One」や「Hottest Hits Volumes Two」は長年のヒットとなり、ボンド・ストリートに位置したトレジャー・アイルのカタログを新世代に知らせる役割を今も担っている。それから何十年経った今も彼の音楽の大半がコンピレーション化され、レコードやCDなど様々なフォーマットで再発されている。

ディージェイたちの音楽的実験、エンジニアーたちのダブ・リミックス。控えめながらにも輝くトレジャー・アイルのリズムはこういった歴史的出来事にとって完璧と言っても良いほどの出発点だった。トレジャー・アイルの音楽が音の境界線を打ち破っただけでなく、無数の文化的、そして芸術的先入観を覆したのだ。これからもデューク・リードの音楽は永遠に生きつづけるだろう。

「デュークは独創的なことをやったんだ、それにデュークはジャマイカが誇る偉大なプロデューサーの1人。彼には独自のスタイルとか...すべてを持ち合わせていたんだ」- バニー'ストライカー・リー'
2010/01/28 掲載 (2014/03/20 更新)
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