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レーベル特集
Techniques(テクニクス)Text by Harry Hawks
「俺はそこから何も望んでいないにも関わらす、名声を得ることができた。俺は自分のやる仕事から信頼を得たんだ」ウィンストン・ライリー
Techniques
設立 1968年
設立地 ジャマイカ キングストン チャンセリー・レーン
主要スタジオ
Channel One Studio
設立者
Winston Riley
プロデューサー
エンジニア
Soljie
関連アーティスト
ジャマイカ音楽の発展で最も創造的で成功した重要人物の1人、ウィンストン・ライリー(Winston Riley)はキングストンの音楽ビジネスの最初期から50年に渡って携わり、彼の音楽は重大な影響を及ぼし続けてきた。1946年キングストンに生まれ、ウエスト・キングストンで育った彼は学校を卒業すると看護士になった。当時、音楽は現実的な職業として考えられることはなく、もし現実にしたいのであれば彼は「とにかく働いては歌う、働いては歌う」を繰り返さねばならなかったと思い出す。リズム・エーシズ(Rhythm Aces)、ジミー・ジェームス(Jimmy James)、インプレッションズ(Impressions)などに音楽の影響を受けたと彼は言ってい通り、テクニクスの放ったヒット曲の2つはカーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)の在籍したインプレッションズの楽曲をリメイクしたものだ。

「テクニクスは60年代初期に結成してから愛のメッセージを説いてきた。グループを離れたリード・シンガーたちそれぞれ全員がレゲエのシーンでパワフルな力となり今も団結と平和を基調とする愛の本質を放っている」バルフォード・ヘンリー(Balford Henry)

ウィンストン・ライリーが1962年にキングストン高等学校とChocomo Lawn Youth Clubで初めてテクニクスを結成、初めてその形が具体化された。オリジナル・メンバーはウィンストン・ライリー(Winston Riley)、キース'スリム'スミス(Keith Slim Smith)、フレデリック・ウェイト(Frederick Waite)、フランクリン・ホワイト(Franklyn White)後のパット・ケリー(Pat Kelly)、ジュニア・メンズ(Junior Menz)、ジャッキー・パリス(Jackie Paris)、ボビー・デイヴィス(Bobby Davis)、ブルース・ラフィン(Bruce Ruffin)、ジミー・ライリー(Jimmy Riley)、デイブ・バーカー(Dave Barker)、ロイド・パークス(Lloyd Parks)、マーヴィン・ブルックス(Morvin Brooks)、ジョニー・アンド・ザ・アトラクションズ(Johnny & The Attractions)で知られたジョニー(Johnny)だった。オリジナルのテクニクスは歌えただけでなく、エドワード・シアガ(Edward Seaga)が後援したユース・クラブのChocomo Lawnでは楽器の演奏を学んでいた。彼らはその場を通してレコード会社のコロンビア(Columbia)に紹介され、最初の録音となった'No One'はコロンビアから世界リリース、1964年の「Jamaica Festival」の'スカ/メント'コンテストでヴィクター・ユース(Victor Youth)バンドのメンバーとして参加した彼らは優勝者たちと並ぶ評価を得た。

「俺たちは ヴィクターズ(Victors)というバンドをやっていたんだ。なぜかってこのグループにいたみんなは楽器の演奏を学んでいたから。俺は特に演奏はしなかったがね。俺はピアノを演奏出来るがそれほどじゃない。スリム・スミスはドラム、フランクリン・ホワイト(Franklin White)はベース、フレデリック・ウェイト(Frederick Waite)はギターを演奏していたんだ」ウィンストン・ライリー

ソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)のゲイ・フィート(Gay Feet)やケン・クーリ(Ken Khouri)のケントーン(Kentone)、バイロン・リー(Byron Lee)とロニー・ナズララ(Ronnie Nasralla)のガラ(Gala)といったレーベルのために録音を行なっていたテクニクスは1965年、ストレンジャー・コール(Stranger Cole)によってボンド・ストリートのデューク・リード(Duke Reid)に紹介されることになる。最初の大ヒットになったのがデュークのトレジャー・アイル(Treasure Isle)からリリースされスリム・スミスをリード・ヴォーカルに起用したスカの録音'Little Did You Know'だったが、スカからロックステディへの過渡期にあり、「ロックステディが重要な(成功への)鍵だった」。その後テクニクスはグループとして機能するようになり、成熟したヴォーカリストたちがリード・ヴォーカルとハーモニーのパートをかわるがわるに担当し、彼らは1967年までトレジャー・アイルでヒット曲を次々に放ったがスリム・スミスとフランクリン・ウェイトはグループを脱退しロイ・シャーリー(Roy Shirley)とユニークス(Uniques)を結成した。そんな彼らがバニー'ストライカー'リー(Bunny Striker Lee)のために'Let Me Go Girl'を録音しているが「あれは1967年で一番ヤバい曲だ!」とバニー・リーは当時のことを語っている。ロイ・シャーリーとスリム・スミスはソロ・キャリアを追及することになるのだが、しばらくしてユニークスはスリム、ロイド'チャーマーズ'タイレル(Lloyd Charmers Tyrell)、ジミー・ライリーによって再び結成された。

「カリブ・シアター、ステイト・シアター、ミュージック・ユニオンで彼らは他のグループからショーを奪い取ったんだ」ジミー・ライリー

「ウェイラーズ(The Wailers)が最も人気のあるグループになるまではスリム・スミス・アンド・テクニクスだった」クレメント'コクソン'ドッド(CS Dodd)、ティモシー・ホワイト(Timothy White)著'Catch A Fire'より。

キメ細やかでソウルフルなファルセットで知られ、天性の才能を授かったシンガーのパット・ケリーはテクニクスに引き込まれ、グループはパットをリード・ヴォーカルに起用することでトレジャー・アイルで傑作と呼ぶに等しいヒット曲を制作し続けた。さらにブルース・ラフィンもシンガー・ソングライターとしてテクニクスに携わるようになりスリム・スミスが去った大きなギャップを埋めた。彼らがインプレッションズの'You'll ant Me Back'をカバーした'You Don’t Care'は大ヒット、続いて同じくインプレッションズの''Minstrel & Queen'をカバーした'Queen Majesty'でも彼らはカーティス・メイフィールドの楽譜を再度学びそのキャリアを成長させていった。この2曲は結果として彼らにジャマイカでの伝説的なステータスをもたらした。そしてパットはその後ユニークスとの活動を経てから、バニー'ストライカー'リーのもとで録音した'How Long Will It Take'でキャリアを躍進、ソロとしてキャリアを成功させた。

「ちょっとやらせてくれないか...と俺が彼らに説明するとみんなは拒否した」と語ったとウィンストンは1968年自身のレーベルを設立するために異例の手段を取った。彼は母親に金を借り、兄弟のバスター(Buster)とレーベル、テクニクスを設立、ウィンストンはとても重要な役割を担うようになり、当時のグループでプロデューサーとアレンジャーを務めた。歌うことも続け、タイロン・エヴァンス(Tyrone Evans)の在籍したシェイズ(Shades)やセンセーションズ(Sensation)など違うシンガーを使ったグループをウィンストンのレーベルであるテクニクスからリリースされた最初の曲はジョニー・オズボーン(Johnny Osbourne)による'Come Back Darling'とテクニクスによる'Who You Gonna Run To'で、両曲ともメジャーヒットを記録してからというものウィンストン・ライリーが過去を振り返ることはなかった。

本名デイヴ・クルックス(Dave Crooks)、デイヴ・ベーカー(Dave Baker)はジャマイカにおける情熱的なヴォーカリストの1人で、ブルース・ラフィンの作曲した焼け付くような'Your Love's A Game'などの楽曲でテクニクスと歌っていたが、「デイヴは何でもできる男だ!」とリー'スクラッチ'ペリー(Lee Perry)が語ったように、1970年にウィンストンはアンセル・コリンズ(Ansel Collins)の制作したリズム'Double Barrel'でのディージェイを依頼、その楽曲はデイヴ・アンド・アンセル・コリンズ(Dave & Ansel Collins)の名義でリリースされた。1971年の初めに、デイブ・ベーカーは'Double Barrel'でイギリスのナショナル・チャートに初めて入ったジャマイカ人ディージェイになり、ロンドンのトロージャン・レコーズ(Trojan Records)からテクニクスのレーベルでレコード・リリースされ、同年にリリースした続く'Monkey Sapanner'でもウィンストン、デイヴ、アンセル・コリンズはイギリスのナショナル・チャートで7位入りを果たした。

ウィンストン・ライリーはキングストンのノース・パレードから入ったチャンセリー・レーンにテクニクス・レコード・ショップ(Techniques Record Shop)を1972年オープン、ジャマイカ音楽界で次々と成功を収めるスタイルと流行曲によってウィンストンは最前線に立つようになり、彼の比べることのできない音楽的な実験はいつもビジネスにおける妥協のない彼の洞察力を伴っていた。70年代初期に、テクニクスのようなソウルフルなハーモニー・グループが当時占めていたドレッド、ディージェイ、ダブといった要素からかけ離れていると理解した彼は当時のルーツ録音で最も鋭い楽曲を書いた。それらにジョニー・オズボーンの'Purify Your Heart'、インターンズ(Interns)の'Nothing Is Impossible'、ビッグ・ユース(Big Youth)の'All Nations Bow'テクニクスに在籍したマーヴィン・ブルックス(Morvin Brooks)による重苦しく呼びかけた'Cheer Up Black Man'などが挙げられる。また、ウィンストンは最もヘヴィーなダブ・アルバムの1つとされる「Meditation Dub」とさらに不滅で幾度となくヴァージョン化されてきた"Stalag 18"リズムを制作した。

80年代に入るとダンルホール・スタイルが取って変わり、ウィンストンもその激動の中心いた。彼の制作したジェネラル・エコー(General Echo)のLP盤「Slackest LP」は現在ダンスホール・ミュージック発展の後押しとなったと考えられ、重要な録音として認識されている。テナー・ソウ(Tenor Saw)が"Stalag"リズムを使った'Ring The Alarm'は大々的なヒットになり1985年に初めてリリースされてからというもの売上げが止まったことはない。フランキー・ポール(Frankie Paul)の初期作を手がけたのもウィンストンで'Wanna Say I Love You'や'You Are So Good To Me'を発表。また、80年代で最も面白ろ可笑しく印象的な作品の1つとも言えるスーパーキャット(Super Cat)の'Boops'を手がけたのもウィンストンだ。コンピューターがリズムを構築するようになるとデジタル・ダンスホールというジャンルを築いた1人であるワイクリフィ'スティーリー'ジョンソン(Wycliffe 'Steely' Johnson)との活動をいち早くスタートさせた。

「スティーリーはこの時代で俺が認めるミュージシャンの1人だ。もし、アイディアがあってスティーリーに渡したら、スティーリーが(そのアイディアを使って)作ってくれるんだ」ウィンストン・ライリー

ウィンストンのビジネス帝国は拡大を見せ、1993年にはオレンジ・ストリート99番地に新たな拠点を設けた。彼はジャマイカの音楽産業における動力そして導きであり続け、最新作はもちろんのこと、テクニクスから過去にリリースされた傑作タイトルの再発盤は必ずウィンストンの店で購入することができた。それでもウィンストンは名声を求めることはなく、仕事がしっかりとこなされているか知ることで満足感じられることが重要なことだった。テクニクスのメンバーだった者も、そうでなかったものも彼らが行ったプロジェクトすべてにおいて、いつでも彼の高い質はお墨付きだった。

「連続的な暴力的な襲撃に悩まされていたウィンストン。彼は去年(2011年)の8月銃撃され9月にはナイフで刺された。11月には後頭部を撃たれ、それ以降は意識不明だった」とオブザーバー紙、2012年1月20日の記事は伝えた。ウィンストンは最後に撃たれてから回復することなく、2012年1月19日に病院で亡くなった。

ウィンストン・ライリーは多才だっただけでなく真の紳士でもあった。いつも彼に会うのは楽しみで、彼との仕事が決して大きくなくても光栄なことだった。彼の息子カート(Kurt)はウィンストンを「正直な男で偽善は大嫌いでした」と言い現しているが、そこに私が言い足す言葉は見つからない。ご遺族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げると共に、心より御冥福をお祈り申し上げます。

ウィンストン・ライリーの魂よ安らかに...
2016/04/15 掲載
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