Junior Reid(ジュニア・リード)Text by Dub Store Sound Inc.
代表曲'One Blood'があまりにも有名なボボ・アーティスト。
Junior Reid
本名 |
Delroy Reid |
出生 |
1965年6月3日 |
出身地 |
ジャマイカ キングストン |
キングストンのゲットー、ウォーター・ハウスで育った彼は13歳にしてオーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)のプロデュースによる'Speak The Truth'という曲で初録音を果たし、ヒュー・マンデル(Hugh Mundell)やラクスレイ・キャステル(Lacksley Castell)といった今や伝説化しているアーティスト達と共に活動した若きリードの評判は海外にも知れ渡るようになった。
83年に盟友ヒュー・マンデルが殺害されてからは、ヴォイス・オブ・プログレス(Voice Of Progress)のメンバーとして、アルバム「Mini Bus Driver」を制作し、ソロとしてもジャミーズ(Jammys)やシュガー・マイノット(Sugar Minott)のユース・プロモーション(Youth Promotion)といった一流プロダクションで制作された'Jail House'、'Boom Shack A Lack'、'Original Foreign Mind'等の曲をジャマイカやイギリスでヒットさせた。
85年からはマイケル・ローズ(Michael Rose)の後釜としてブラック・ユフル(Black Uhuru)のリード・ヴォーカルに迎えられ、新たなスタートを切ることになった。ブラック・ユフルのメンバーとしての初シングル'Fit You A Fe Fit'はレゲエ・ファンの間でもヒットしたが、その後の作品はポップ市場を意識した作品が多く、方向性の違いに気付いたリードは自身のレーベル、JRを設立し、同グループの'Pain On The Poor Man's Brain'や'Nah Get Rich And Switch'といった曲を手掛け、ジャマイカでの人気を取り戻した。同グループを脱退してからは'Married Life'を皮切りにソロでの活動を活発化させ、彼の代表曲である'One Blood'や'Banana Boat Man'、'Rappa Pam Pam'等のヒット曲を自身のレーベルから発表し、他にもデニス・ブラウン(Dennis Brown)、グレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)、ニンジャマン(Ninjaman)といったアーティストを手掛けた彼はプロデューサーとしても大いに活躍した。
2007/07/09 掲載 (2013/11/21 更新)