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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Bob Andy
アーティスト特集
Bob Andy(ボブ・アンディ)Text by Harry Hawks
ボブ・アンディは最も洗練されたシンガー、そしてソングライターの一人であり、彼の作品(詩やリズムにおいて)はレゲエ音楽に欠くことのできない大部分を形成するに至った。
Bob Andy
本名 Keith Anderson
出生 1944年
出身地 ジャマイカ  
関連アーティスト
1944年、ボブ・アンディ(Bob Andy)はキース・アンダーソン(Keith Anderson)としてジャマイカのキングストンで生まれ、タイロン'ドン'エバンス(Tyrone 'Don' Evans)とハワード・バレット(Howard Barrett)と共にザ・パラゴンズ(The Paragons) のオリジナル・メンバーとして音楽キャリアをスタートさせた。彼が選曲を担当し、リハーサルでピアノを弾き、ハーモニーを合わせながらパラゴンズをまとめていたが、見知らぬリード・シンガーとしてジョン・ホルト(John Holt)が迎え入れられた時、彼はグループの脱退を決めた。一生コーラスで過ごす準備ができていなかったものそうだが、ヴィック・テイラー(Vic Taylor)がジョン・ホルトの一時的な代役として抜擢されても、ボブの思うようにことが運ばなかった。そうしてジョン・ホルトが再びグループに戻ってくるとボブとヴィック・テイラーはパラゴンズを脱退した。

彼はスタジオ・ワン(Studio One)のクレメント'コクソン'ドッド(CS Dodd)とブレントフォード・ロードにある彼のレコーディング・スタジオでソロ活動を始め、1966年の初めにウェイラーズ(Wailers)のハーモニーでアフリカ回帰を歌った'I've Got To Go Back Home'は名曲中の名曲となり、ジャマイカ音楽を語る上でもっとも重要な曲の一つとなった。スタジオ・ワンで歌った彼の曲とリズムは現行のスタイルがどうになろうとも、一定してアップデートされヴァージョン化され続けてきた。'Desperate Lover'、 'Feeling Soul'、'Let Them Say'、'My Time'、'Too Experienced'、'Unchained'など同じく賞賛に値するステータスを確立した楽曲等は重要な名アルバム'Bob Andy's Song Book'に収録され、いかなる音楽ジャンルの中でも数少ない絶対必聴アルバムとして今尚聞き続けられている。またボブはジャッキー・ミットゥー(Jackie Mittoo)と共に制作を行ない永遠と称される録音の多くに貢献、特にスタジオ・ワンからはケン・ブース(Ken Boothe)の'Don't Want See You Cry'、マーシャ・グリフィス(Marcia Griffith)と組んだ'Always Together'などの名曲を生み出した。

次に彼は駆け出しのプロデューサー、ハリー'ハリー J'ジョンソン(Harry Johnson)の下で'Young Gifted & Black'をマーシャ・グリフィスと共にレコーディングした。そのレコードはジョニー・アーシー(Johnny Arthey)のストリング・アレンジメントを加えた上でトロージャン(Trojan)からイギリスでリリースされ、1970年3月のUKナショナルチャートで5位を獲得。ボブとマーシャはこのレコードのプロモーションのためにロンドンを訪れ、結果的にイギリスとヨーロッパツアーを行った。続いてリリースされた'Pied Piper'は翌年の夏にUKナショナルチャートで11位まで上り詰めた。彼らはCBSと契約したのだが不運なことにその当時レゲエ音楽とレゲエ・アーティストのマネージメントやプロモーション方法が分かる者は誰一人としていなかった。それ以降クロスオーバーにおけるさらなるヒット曲を輩出することはもとより、彼らの関係が長続きすることは無かった。

ジャマイカに戻ったボブはソロ活動を再開し、さらにロイド・チャーマーズ(Lloyd Charmers)のもとで啓示を歌った'Fire Burning'、ルーピー・エドワーズ(Rupie Edwards)のもとで強い主張を示した'The Way I Feel'、喜びに満ちた気持ちを歌った'Salary Is Thin'別称'Sun Shines For Me'をフェデラル(Federal)のクーリ(Khouri)兄弟のために、そしてハリーJのために録音した哲学的な'Life'や苦悩に支配されている気持ちを歌った'You Don't Know'など数々の名曲を生み出した。これら申し分のない曲は彼がジャマイカで最も的を射た堅実なシンガー・ソングライターの1人として彼の評判をさらに高めた。また、彼はソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)ともに制作活動を行い、1977年にハイ・ノート(High Note)から、長い間愛されるうっとりとした'Feel The Feeling'や社会批判を深く映し出して書かれた楽曲の中でもジャマイカ人お気に入りの一曲'Ghetto Stays In The Mind'などを収録したアルバム「Lots Of Love And I」をリリース。同年に彼はマーシャ・グリフィスとコンビを再結成し、アルバム「Kemor (Really Together)」を制作したが彼は音楽界におけるただの音楽家としてだけでなく、仲介業者の無法な策謀からアーティストの作品を守るためにカリビアン・コピーライト・アソシエーション(Caribbean Copyright Association)の設立も試みた。

5年間の音楽活動休止中にボブは演じることに関わり始め、映画「Children Of Babylon」や多く演劇に出演したが、シンガーとしての復帰を望む声は大きかった。1983年、彼はアルバム「Friends」と共にシーンにカムバックし、シングル曲'Honey'とこのアルバムはUKレゲエ・チャートの1位にまで上り詰めた。それから彼は世界で公演を行い、1985年に日本で開催された第一回目の「レゲエ・サンスプラッシュ(Reggae Sunsplash)」、同年にモスクワで開かれたYouth Festivalに参加、1989年にはソリダリティによって開催された反アパルトヘイト制度を掲げたポーランドのコンサートGdansk Shipyardに出演し、ヘッドラインを飾ってきた。1992年、彼は活動拠点をフロリダに移し、1997年にはマイアミでプロデューサーのウィリー・リンド(Willie Lindo)が運営するヘヴィ・ビート・スタジオ(Heavy Beat Studio)でアルバム「Hanging Tough」を録音。2005年、彼は初めてアフリカ・ツアーを行い、エチオピアのアディス・アベイバで行れたボブ・マーリー(Bob Marley)生誕60周年を祝うコンサートに参加し、大統領邸宅で歌を披露、トゥエルブ・トライブス・オブ・イスラエル(Twelve Tribes Of Israel)のラスタが居住するシャシャマネでは慈善コンサートを行なった。そして2000年にリリースした'Zion'と2001年の'There Is A God'もヒットを記録し、彼の音楽の重要性をあらためて証明し続けている。

2006年の10月にジャマイカ政府はボブ・アンディによるジャマイカ音楽の発展への功績を評して彼に最高ランクの国民栄誉賞(The Order of Distinction in the rank of Commander)を与えた。ソングライター、歌手として彼の作品がついに真の地位と重要性を得るようになり、ジャマイカ音楽における真の天才として認められている。
2017/05/24 掲載
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