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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Dennis Brown
アーティスト特集
Dennis Brown(デニス・ブラウン)Text by Harry Hawks
"クラウン・プリンス・オブ・レゲエ(レゲエ界の貴公子)"と呼ばれたデニス・エマニュエル・ブラウンはジャマイカ音楽において最も普遍的に人気のあったパフォーマーだった。多くのアーティストたちは死後に名声と称賛を受けるがデニス・ブラウンは生前、他に例を見ない量の深い愛情を受け取った。
Dennis Brown
本名 Dennis Emanuel Brown
出生 1957年2月1日
死没 1999年7月1日
出身地 ジャマイカ キングストン 
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1957年2月1日にジャマイカのキングストンで創作的な音楽一家に生まれたデニスは5歳の時から歌を歌い始めた。彼の父親、アーサー・ブラウン(Auther Brown)は台本作家であり多くのステージとテレビ番組に出演していた役者で、彼の兄弟、ベシル・ブラウン(Basil Brown)はジャマイカのラジオ・シリーズ"Life In A Hopeful Village"に出演した後"マン・マン(Man Man)"と呼ばれた人気のあるコメディアンだった。デニスが最初に公共の場に立ったのは彼が10歳の時キングストンのナショナル・アリーナで行われていた政治集会で、それからはバイロン・リー(Byron Lee)のドラゴネアーズ(Dragonaires)のフィーチャー・ヴォーカリストとして数々のステージでパフォーマンスを行っていった。彼は「キングストンのCarib Theatreに通い」また1969年にデリック・ハリオット(Derrick Harriott)の元で初レコーディングを行うまでファルコンズ(Falcons)とソウル・シンジゲート(Soul Syndicate)と共に歌っていた。

「私がデニス・ブラウン(Dennis Brown)を最初に録音したんだ。私は以前から彼の兄を知っていた...コメディアンだった。デニスはバイロン・リーのショーでよく'Solomon'を歌っていた。彼は大きなことを言う幼い若者で雰囲気があったから、私たちは友達になったんだ。彼の最初のレコーディングは...彼が10歳から12歳の時だったかな...'Obsession'という曲だったが'Lips Of Wine'という名前に変えたんだ」デリック・ハリオット

デニスは数あるキングストンのトップ・プロデューサーたちのために録音を続けた。彼はクレメント'コクソン'ドッド(CS Dodd)のために「No Man Is An Island」と「If I Follow My Heart」の2枚のアルバムをまたランディーズ(Randys)のクライヴ・チン(Clive Chin)のために'Cheater'、ハーマン・チン・ロイ(Herman Chin Loy)のために'It's Too Late'と'Song My Mother Used To Sing'、フィル・プラット(Phil Pratt)のために'What About The Half'と'Let Love In'、プリンス・バスター(Prince Buster)のために'If I Had The World'と'One Day Soon'、そしてタファーライ・シンジゲート(Tafari Syndicate)のために'Set Your Heart Free'と驚くべき数の名曲を録音した。

「私はその当時かなり多数のプロデューサーたちのために録音していたよ。マタドール(Matador)とは'Things In Life'と'Baby Don't Do It'をやったし、GG(Alvin Ranglin)のために1曲'Don't Cry'を、その後は2曲プリンス・バスターのために録音したんだ」デニス・ブラウン

デニスは自身のキャリアの早期、ジャマイカで最も素晴らしいヴォーカリスト2人に技術を学んだとバニー・リー(Bunny Striker Lee)は思い出す。

「彼は頭が良かったんだ!俺とデニスでとんでもなく多くの作品を作った。彼は人間としても素晴らしかった...デニス・ブラウン。デニス・ブラウンにギターの弾き方を教えたのはスリム・スミス(Slim Smith)だ...彼らが2つの大きな裏庭住んでいた時だった。スリムはオレンジ・ストリートに面したコクソンが所有していたレコード・ショップの裏の角に住んでいて、デニスはノース・ストリートの大きな裏庭に住んでいたんだ。デニス・ブラウンはデルロイ・ウィルソン(Delroy Wilson)のことを"The Teacher(先生)"と呼んでいた、彼が多芸だったのはスリム・スミスとデルロイ・ウィルソンが彼のことを教えたからだ。デルロイ・ウィルソンとスリム・スミスはな...素晴らしいアーティストだったんだ。2人の素晴らしいアーティスト...デニス・ブラウンを作り上げたのは彼らだった」バニー'ストライカー'リー

ジョー・ギブス(Joel Gibson)は1969年にウィンストン'ナイニー'ホルネス(Winston ‘Niney’ Holness)をレーベル専属マネージャーとして雇い、ナイニーはデニスが始めて'Money In My Pocket'を歌った1972年、ジョーからコントロール・ボードを任されていた。素晴らしい一連のヒット曲がナイニーの所有していたレーベル、オブザーヴァー(Observer)から続き、ソウル・シンジゲート・バンドを使ったナイニーのダイナミックなプロダクションはスリリングな全く新しい環境を若きデニス・ブラウンに与えた。すでに"若きヴェテラン"と称されていた彼の声は「驚くほど安定し、彼のパフォーマンスは非常に心が動かされるものだった」デニスは続けて「文化的なテーマと恋人たちが持つ悩みを混ぜ合わせて」歌っていたが、自身の作品は現実的なものと普遍的な愛のテーマが増えていった。彼は弁解を必要としない'Africa We Want To Go'と'Why Seek More'を含むラスタファリアンにインスピレーションを受けた楽曲をナイニーと共に始めて作ったが、1973年夏にジャマイカで1番ヒットした、よりトラディショナル寄りな 'Westbound Train'のようなものに傾いていった。デニスは同年の暮れに雑誌SwingにおいてTop Male Vocalistに選ばれた。

アル・ブラウン(Al Brown)、シャロン・フォレスター(Sharon Forrester)、メイタルズ(Maytals)、シンシア・リチャーズ(Cynthia Richards)が参加したJamaican Showcaseの一員としてデニスは1974年の夏に始めてイギリスをツアーした。70年代の中盤に差し掛かると彼のベスト曲の1つとも称され、ヘプトーンズ(Heptones)がバックを務めた最も心に触れるレコード'Satisfaction Feeling'を始めとするセルフ・プロデュース作品を作り始めた。レーベル、ディアグラーズ・サウンズ(D'Augular's Sound)からリリースされたが「特別変わったことは起きなかったんだ...私にとってこれはただの始まりだったのだから」しかしこれは1976から1977年の冬に彼が自身のレーベル、DEB(Dennis Emanuel Brown)を始めるときに彼が進む道を表す楽曲になった。

彼は1977年にリリースされた名盤アルバム「Visions Of Dennis Brown」でジョー・ギブスとエロール・トンプソン(Errol Thompson)のマイティー・トゥー(Mighty Two)と再度活動を共にした。コンシャスなテーマとラブソングで構成されたこのアルバムはドレッド・ムードだった当時に響き渡り、その当時デニスの最も成功した作品になった。イギリスでは当初高級な"プレ・リリース"として発売されていた輸入品にも関わらず、このアルバムはイギリスのレゲエ・チャートに食い込みしそこに留まった。ブラック・エコーズ(Black Echo)とメロディー・メーカー(Melody Maker)の双方はその年のレゲエ・アルバムにこのアルバムを選出した。

「音楽という彼の得意なフィールドだったが、彼はこのアルバムのコミュニケーション性または教育性のポテンシャル、またこのアルバムがその時代における自己認識と自己決定することを表現する役割を担うことが出来るだろうということに彼は気付いていた...ルーツのリズムと革命的なリリックで彼のヴィジョンは明らかになり、アイリーな魂を持ったデニス・ブラウンがベールを脱いだのだ」パトリック・グリフィス(Patrick Griffiths)

1978年マイティー・トゥーは'Money In My Pocket'のアップデート・ヴァージョンをデニスのヴォーカルがプリンス・モハメッド(Prince Muhammed)と名乗ったジョージ・ヌークス(George Nooks)の全く異なるディージェイへと途切れることなく繋がった"ディスコ・ミックス"としてジョー・ギブス(Joe Gibbs)からリリースした。'Money In My Pocket'は次の春にロンドンのライトニング・レコーズ(Lightning Records)からリリースされイギリスの国際チャートの第14位まで達したデニスの最も大きなクロスオーヴァー・ヒットになった。

その2年後デニスはA&Mレコーズと契約した。このレーベルからの初リリース「Foul Play」はクライヴ・ハント(Clive Hunt)とジョー・ギブスによりプロデュースされ、考えさせられる内容の'The World Is Troubled'を含む恋愛と現実的なテーマをミックスさせたものだった。彼の続いてのA&Mでのリリースは1982年にリリースされたウィリー・リンド(Willie Lindo)、ジョー・ギブス、デニス・ブラウン共同制作の「Love Has Found Its Way」だった。このソウルに影響を受けたアルバムは大ヒットし、スムーズで洗練されたアルバムのタイトル・トラックはイギリスの国際チャートとアメリカのSoul Chartsにランクインした。このアルバムそのものは大成功を収めその後"Reggae The Rough Guide"に"制作のなかでとても力強い何かを損なわずに世界的なポップを好むオーディエンスたちに最も近づくことが出来たレゲエ・アルバム"と称された。A&Mを通しての最後のアルバム「The Prophet Rises Again」をプロデュースしたのはジョー・ギブス、エロール・トンプソン、デニス・ブラウンだった。1983年にリリースされた「The Prophet Rises Again」は商業的なファンクのリズムとルーツのトラックをブレンドし、美しい'Historical Place'などが収録されている。

デニス・ブラウンはどんな新しいジャンルまたは新しいリズミカルなスタイルをも自身の楽曲に上手くフィットさせることが出来る...またそれがことごとく成功するのだ。A&Mのリリースで国際的なオーディンスを獲得し、それと同じく故郷のキングストンで起こっていたダンスホールの波にも上手く乗っていた。ジョー・ギブスがプロデュースした'A Little Bit More'と'Your Love's Got A Hold On Me'はデニスが完全に新しいスタイルを習得していた2つの申し分のない見本だ。スライ&ロビー(Sly & Robbie)のレーベル、タクシー(Taxi)のために録音した'Hold One To What You Got'、'Sitting And Watching'、'Have You Ever Been In Love Before'、そして特に'Revolution'など全て大ヒットとなった。これらのデジタル初期のアプローチはシリアスなリズムとリリックのパンチを与えとキング・ジャミー(Lloyd James)とのデニスの作品の前触れだった。「The Exit」または「History」として知られるこのアルバムはジャミーとデニスがその10年前に一役買って作り上げた、音楽の基礎が吹き込まれていた。この時期のデニス・ブラウンのレコードは最新のテクノロジーが才能と経験で合わさったときに達成できたであろう創造性の最高到達点を論証している。

歌うことを愛していた男、デニス・ブラウンは歌い、歌い、歌い続けた...ジャマイカ音楽史の中でどの単体のアーティストよりもレゲエの名曲があるのは論じるまでもない事実だ。彼は愛され、他のどのシンガーよりも見本となり、そして25年以上もレゲエの世界の中で唯一無二の存在であったが、彼は外の世界ではめったに称賛を受け評価をされなかった。レゲエ音楽を理解したい者のみがデニス・ブラウンを評価しなければならない...レゲエ・ビジネスにいる全ての者はボブ・マーリー(Bob Marley)のような成功を追うが、全てのレゲエ・シンガーたちはデニス・ブラウンのように歌いたいと望み、レゲエのオーディエンスたちの間での彼の人気は音楽が何であるか、またオーディエンスの本当の意味を説明しなければならない。彼は自分のファンたちを愛し、彼らもまたそれに応えた。

「こんな豊かで音楽的に満足できるキャリアを歩んでいるジャマイカ人アーティストは他にはいないと言っても過言ではない」

デニス・ブラウンは1999年7月1日、呼吸器官の問題で死去し、7月10日にジャマイカのキングストンで国葬が営まれた。彼はHeroes Circleで埋葬され安らかに眠っている。彼の魂は彼の音楽の中で生き続ける。
2020/04/03 掲載
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