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トップ特集・オリジナルコンテンツレーベル名鑑Pantomine/Dwyer/South East Music
レーベル特集
Pantomine/Dwyer/South East Music(パントマイン/ドワイヤー/サウス・イースト・ミュージック)Text by Harry Hawks
グレン・ブラウンは商業上での成功から大きく遠ざかっているものの40年にも渡り発表されてきている作品は彼を"謎多き人物"としてのステータスを確立させたが、彼のレコードはコレクターズ・アイテムとして評価され、それに伴いコレクターの市場において高値がつけられている
Pantomine/Dwyer/South East Music
設立地 ジャマイカ キングストン 
設立者
Glen Brown
プロデューサー
関連アーティスト
関連レーベル
1944年の1月30日にジャマイカのキングストンで生まれたグレンモア・ロイド・ブラウン(Glenmore Lloyd Brown)は自身の音楽ビジネスをバンド・リーダーであったソニー・ブラッドショウ(Sonny Bradshaw)と共にスタンダードな楽曲とジャズを歌うことから始めた。彼の始めての録音は1966年、クレメント'コクソン'ドッド(CS Dodd)、デリック・ハリオット(Derrick Harriott)、デューク・リード(Duke Reid)などの様々なプロデューサーたちのためにデイブ・バーカー(Dave Barker)、ホープトン・ルイス(Hopeton Lewis)そしてロイド・ロビンソン(Lloyd Robinson)と組んで歌った一連のロックステディのデュエット曲だった。しかし1969年、彼が自身の天職に出会ったのはキングストンのダウンタウンに位置するキング・ストリート内のキングストン・アーケードで宝石店を営むMマターニ(M. Mahtani)氏と共にレコードをプロデュースし始めた頃だった。トロンボーン奏者のロン・ウィルソン(Ron Wilson)による'Night Cap'が彼らのレーベル、シャライマー(Shalimar)からのリリースとなり、グレンはそれから間もなく妻のマルゲリータ・ミラー(Marguerita Miller)と共にレコードのプロデュースを始めた。

彼にとって初の大ヒットである'Marry Up'は"God Suns"とクレジットされたジョー・ホワイト(Joe White)とグレンによるメロディカのデュエットで1972年にジャマイカでナンバー・ワンを獲得した。当時、グレン・ブラウンは自らが運営するあるレーベルにおいて自身を"ザ・リズム・マスター"と誇らしげに掲げたがそれは単なる戯言ではなかった。数え切れないユニークで奇怪、そして時々あからさまに風変わりなレコードは今や伝説になっているグレンのレーベル、パントマイン(Pantomine)、ドワイヤー(Dwyer)、サウス・イースト・ミュージック(South East Music)などからリリースされたが、同業者たちは彼が音楽の中で何を表現したいのか理解に苦しんだ。

「リー・ペリー(Lee Perry)やその周りにいたやつらは俺を笑いものにしたものさ!」グレン・ブラウン(Glenmore Brown)

彼は自分のお気に入りのリズムを様々なシンガー、楽器演奏者、そしてリズムの寿命を延ばす手助けしただけでなく経済的損失を最大に取り戻す役割を果たしたディージェイたちなどを使いこれでもかというほどに繰り返し使用しヴァージョンを録音した。彼の代名詞ともいえる"飾り気の無いメロディカのフレーズ、音楽的に不適切か否かのぎりぎりの音、曲のよさを引き立てる完璧なほどに力強さの感じられるリズム・トラック"が特別有名となった。当時の経済状態が反映された彼の"曲をリサイクルする"という考え方は当時の彼の音楽と同様に非常に先進的なものであった。彼のレコードの多くはごく少数でしかプレスされていなかったため探すのは困難を要した。

「グレン・ブラウンのレコードは発売と同時に無くなってしまい、ロンドンはもちろんのこと、キングストンでさえ探すのは不可能に近かった...彼は全てのレコードを片付けてタンスの奥に眠らせてしまうのではなく古いリズムを使い新たなヴァージョンを作ることに趣を置いていた」ニック・キンバレー(Nick Kimberley)

グレンのレコードの中で最も有名なのはインストゥルメンタル曲だがビッグ・ユース(Big Youth)、プリンス・ジャズボ(Prince Jazzbo)、Iロイ(I Roy)などを含む70年代に活躍したディージェイたちのベストに値する曲も録音した。彼の多くの作品はドロミリー・アヴェニューにあるキング・タビー(King Tubby)のスタジオで録音され、タビーお抱えのディージェイだったUロイ(U Roy)をスタジオに連れて行きキング・タビーのサウンド・システムとキング・タビーズ・ホーム・タウン・ハイ・ファイ(King Tubby's Home Town Hi Fi)を曲の中で褒め称えた。タビーと共にUロイのベストとも呼べる実に見事な「Number One In The World」を制作、それに伴いキング・タビーがミックスした破壊的なリズム"Tubby's At The Control"は作品と同等の素晴らしい出来栄えだった。ドロミリー・アヴェニューでミックスされたグレン・ブラウン音楽の素晴らしい見本は1996年にブラッド・アンド・ファイアー(Blood & Fire)から発売されたコンピレーション・アルバム「Termination Dub(1973~79)」で聴くことができる。

彼の音楽制作とプロダクションに対する真面目なアプローチはレコードのレーベル紙部分に多々見受けられるナンセンスとまさに対照的である。スペルの間違いはグレン・ブラウンのストーリーを語る上で重要であり自身のレーベル、パントマインからリリースされたレコードは"Blakes Auto Sales New & Used Cars"という宣伝が書かれていたが、当時グレンは電話を所有しておらず「車のセールスマンの電話を使わなければならなかったものだから電話を使わせてもらうそのかわりにそいつにちょっとした広告をあげたのさ」というものだった。

「それは彼自身のレコードのレーベルに書かれていたものであり、最も好奇心をそそり、最も混乱した...今までに全く考え付かなかった意味深げで理解が出来ない情報で埋め尽くされていた」ニック・キンバレー

70年代の終わりに近づいてもなお続いていた報酬不足はとうとう度を越えグレンはより良い生活を求めニューヨークに移住した。1987年、少数だが新作、旧作共に店に並び始め翌年にグレンは音楽制作を再開した。常に先を見据えていた彼はイギリスのグリーンスリーブス(Greensleeves)に以前発表した非常に完成度の高い3つの作品、ディージェイ作品を集めたアルバムである「Check The Winner」、ヴォーカル曲を集めた「Boat To Progress!」そしてインストゥルメンタル曲のアルバムである「Dubble Attack」のライセンスを売った。文句のつけようも無い素晴らしい解説と音質の高さ共にきわめて上手く宣伝された3つの作品は大絶賛されたがそれに対等な数量を売ることが出来なかった。世界は1989年の段階でこの玄人向けに編集され手の込んだ注釈付きのレゲエ史に残るアルバム・セットを受け入れることは出来ず、今となってこれらのアルバムは全て入手がとても難しい状況になっている。

とどまる事を知らないグレンは膨大で、一切の妥協の無い自身のカタログから編集しなおした再発盤を発売し、増え続ける彼の熱狂的なファンたちのためにさらに多くの音楽を作り続けていく。
2010/12/14 掲載 (2014/03/27 更新)
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