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トップ特集・オリジナルコンテンツレーベル名鑑Music Works
レーベル特集
Music Works(ミュージック・ワークス)Text by Harry Hawks
長くそして非常に大きな成功を収めた自身のキャリアを通しオーガスタス'ガッシー'クラークは仕事に対して常に細心の注意を払って来ただけでなく音楽製作全ての段階に関わってきた。
Music Works
設立地 ジャマイカ キングストン 
主要スタジオ
Music Works
設立者
Augustus Gussie Clarke
プロデューサー
エンジニア
Carlton Hines
Dennis Creary
Hopeton Lindo
Mikey Bennett
Stephen Stanley
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ジャマイカ音楽の歴史における多くのプロデューサーたちは一般的に受け入れられている意味としての音楽の"制作"はしていないが資金の援助やビジネスにおける人脈を使って創作を促し、音楽作りをミュージシャンやスタジオのエンジニアたちに一任してきた。

「制作は実働であり、創造だ。ただスタジオに行きシンガーに"どの曲を提供してくれるのか"と尋ねる以上のことだ」オーガスタス'ガッシー'クラーク(Augustus Gussie Clarke)

オーガスタス'ガッシー'クラークは1953年、セント・メアリー教区の田舎で生まれたが、間もなくキングストンのダウンタウンに位置するビーストン・ストリートとチャーチ・ストリートのあいだに移り住み、キングストンの音楽シーンに急激にのめり込んで行った。彼はキング・ガッシーズ・ハイ・ファイ(King Gussie's Hi Fi)なる「小さなサウンドシステム」を始め、1971年にはキングストン・カレッジの卒業を機にチャーチ・ストリートの81 1/2番地に自身のスタジオを立ち上げ、以前トレジャー・アイル(Treasure Isle)のデューク・リード(Duke Reid)から購入したダブ・カッティング・マシーンを使用し地元のサウンドシステムのためにアセテート盤をカットしていた。ガッシーは自身の活動の場をプロダクション業へと移し、自身のレーベル初となるリリースはディージェイのレジェンドであるUロイ(U Roy)のものだった。エロール・ダンクリー(Errol Dunkley)がカヴァーしたアルトン・エリス(Alton Ellis)の'Ooh Wee Baby(またはBaby I Love You)'のヴァージョンに乗せた'Higher The Mountain'はエロールのレーベル、シルバー・リング(Silver Ring)から初めてリリースされた。

この最初の成功からガッシー・アンド・パピー・レコーズ(Gussie & Puppy Records)のスタジオは徐々に拡大し、2トラック・テープ・レコーダーからさらに高性能な機材へと進化していった。この時代にキングストンで起きた激動的な音楽の変化を特徴的で他に例を見ないと感じたガッシーは自身の知識を駆使しビッグ・ユース(Big Youth)と共に彼の初となるLP制作を始めた。彼らの「Screaming Target」は1973年にリリースされディージェイの美学を新たなレベルまで押し上げた。ガッシー・アンド・パピーのからのセカンド・アルバムはIロイ(I Roy)のデビュー作となるLP「Gussie Presenting I Roy」だった。この2枚には多くの同じリズムが使用され、2人の全く異なったディージェイが同じテンプレートで歌うということは当時起ころうとしていたディージェイという現象が無限大の可能性を秘めているということを示すものとなった。

彼が制作をしたビッグ・ユースとIロイのアルバムはガッシーを新たな"反逆"のサウンドのリーダーとしての地位に着かせ、シンプリシティ・ピープル(Simplicity People)もしくはソサエティ・スクワッド(Society Squad)とクレジットされた彼のインストゥルメンタル・レコードの数々はしばしば才能溢れるオーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)をフィーチャーし、一方では名を馳せていたリロイ・スマート(Leroy Smart)、ローマン・ステュワート(Roman Stewart)、グレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)などがガッシー・アンド・パピーのために録音をした。70年代が進むにつれガッシーはジャマイカのレコーディング・シーンを動かす主要な人物となりビジネスの全ての側面を管理した。レコードをプロデュースすると共に"ガッシー・エクスポージャー(Gussie Exposure)"という自身の出版会社も立ち上げマーケティングとジャマイカでプロデュースされた"プレ・リリース"レコードを世界中に輸出した。彼は音楽ビジネスを自身の進むべき当然のキャリアと考え、周囲が思い描くよりも欠けている信頼性や財務的な報酬の違いにも順応しながら働いた。

「これは人々が思っていることと実際起こっていることは違うという冗談さ」ガッシー・クラーク

グレゴリー・アイザックス、デニス・ブラウン(Dennis Brown)、マイティ・ダイアモンズ(Mighty Diamonds)などと活動したガッシーの70年後期と80年代早期のプロダクションは温かみがあり完全なるプロフェッショナリズムが特徴的だった。ガッシーは流行には目もくれなかった。イギリスで発達したラヴァーズ・ロックのスタイルはジャマイカでオーディエンス獲得に苦しんでいたが、彼は自身初となるラヴァーズのレコード、ロイド・コクソン(Lloyd Coxsone)のプロデュースによるルイサ・マークス(Louisa Marks)が歌った'Caught You In A Lie'を1975年に自身のガッシー・アンド・パピーからリリースし、ホーテンス・エリス(Hortense Ellis)の見事な'Unexpected Place'を1976年にプロデュースした。ガッシー76(Gussie 76)というレーベルからリリースされたこの曲は大ヒットを飛ばし、どのUKラヴァーズのレコードよりもUKラヴァーズらしさがあった。1981年にはミュージカル・ユース(Musical Youth)が編曲し世界的なクロスオーヴァー・ヒットを記録した'Pass The Dutchie'の元となった、'Full Up'をアップデートした'Pass The Koochie'を含むマイティ・ダイアモンズのアルバム「Changes」をリリースした。しかし音楽は変化を続け、1984年、ウェイン・スミス(Wayne Smith)の'Under Mi Sleng Teng'はレゲエの本質を完全に変えてしまった。費用のかかるスタジオはこれ以上必要なく、コンピューターが奏でる楽器に古風なセッション・ミュージシャンたちの階級は廃止というのがこのデジタル革命と共について回ったセオリーだった。しかし今まで同様にガッシーはこの一般常識に真っ向から対面し、このテクノロジー革命を素直に取り入れ新しいスタジオ施設を56スライプ・ロードに建設したのだ。

全ハイ・テクノロジー仕様の初となるシングルは1988年の'Rumours'で、舞い上がり急降下しながらもいつもヘヴィーなベースのガッシーの新しいサウンドはグレゴリーの悩ましげなスタイルとの見事な対比となった楽曲だった。それ続く同リズムを使用した'Telephone Love' はJCロッジ(JC Lodge)の遠距離恋愛に対する苛立ちがグレゴリーの注意深い警戒心に打って変わった。'Telephone Love'は1988年のアメリカで最も売れたレゲエのレコードとなり、ミュージック・ワークス(Music Works)が送り出すサウンドは様々なエレメントもデジタル・ミュージックに取り入れることが出来るということを証明した。ガッシーは作曲者やアレンジャー、マイキー・ベネット(Mikey Bennett)、ホープトン・リンド(Hopeton Lindo)、ヴォーカル・トリオ、テトラック(Tetrack)のカールトン・ハインズ(Carlton Hinds)、デニス・クリーリー(Dennis Creary)、スティーブン・スタンレー(Stephen Stanley)などのエンジニアの中に自らの身を置き、スライプ・ロードのスタジオは若い才能を育てる温室のようになっていた。ミュージック・ワークスとなる前にもイギリスを拠点に活動をしていたデボラ・グラスゴウ(Deborahe Glasgow)、アスワド(Aswad)やマキシ・プリースト(Maxi Priest)などがキングストン5に活動の場を求めてやってきていた。ガッシーはディージェイたちとの活動の功績はすでに証明されていたが彼は世界的ブレーク目前だったシャバ・ランクス(Shabba Ranks)とも活動する機会を得ることに成功し、昔のものとして扱われレゲエ・ミュージックの中で存在が薄れていたディスコ・ミックスにも再度息を吹き込んだ。

多忙でよく働く男、ガッシー・クラークはいつも全てを開花させる可能性に気付き、ジャマイカの新興音楽を誰でも、全ての人々に提供してきた。2006年には世界的スーパースターのリアーナ(Rihanna)のアルバム「Girl Like Me」に収録されている'Crazy Little Thing Called Love'の共同プロデューサーとしての役も担った。創作の全ての段階に関わり、指導し、彼のアーティスト、ミュージシャン、エンジニアたちのベストを引き出すことによってガッシー・クラークの音楽は流行の気まぐれを物ともしなかった。彼の音楽は結果的にジャマイカ音楽に多く見られる一時的な熱狂の中を生き抜き、創造性と勤勉さを永久的に証明する証となった。
2012/01/11 掲載 (2013/10/18 更新)
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