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トップ特集・オリジナルコンテンツレーベル名鑑Clandisc
レーベル特集
Clandisc(クランディスク)Text by Harry Hawks
社会の変革に音楽の力を持つと信じたクランシー・エックルズは、無数の人々を迎え入れ彼らが自身の取り入れた革新を利用して利点を得られるようにした...
Clandisc
設立 1967
設立地 ジャマイカ キングストン オレンジ・ストリート122番地
設立者
Clancy Eccles
プロデューサー
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関連レーベル
1940年12月9日、セント・メアリー教区のハイゲート近くで生を授かったクランシー・エックルズ(Clancy Eccles)、彼のの父親は洋服の仕立屋でクランシーももともとは裁縫師としてその技術を教えられた。それは後に彼が仕立てるとても個性的なステージ・コスチュームに見て取れるようになるのだが...。15歳にして北海岸のリゾート地、オチョ・リオスへと働きに出た彼はウェイターとして飲み物を運び、観光客にハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)の歌を歌っていたが、彼はレイ・チャールズ(Ray Charles)、ロスコ・ゴードン(Rosco Gordon)、ロイド・プライス(Lloyd Price)などアメリカのリズム&ブルースに興味を持っていた。

1959年にキングストンへと移り生んだ彼はクレメント'コクソン'ドッド(CS Dodd)のもとで 'Freedom'を初めて録音。このリズム&ブルースを基調にした熱烈なリバイバリストによる歌はコクソンのレーベル、オール・スターズ(All Stars)からリリースされる前にダウンビート・サウンドシステム(Downbeat Sound System)で何度も独占的にプレイされた。コクソンのために行った次のレコーディングは'River Jordon'で、ハーマン・ハーサング・アンド・ヒズ・シティ・スリッカーズ(Herman Hersang & His City Slickers)がバックを務め、同じくオール・スターズからリリースされると再び大ヒットした。チャーリー・ムー(Charlie Moo)のレーベル、ムーズ(Moo's)やリンドン・ポッティンジャー(Lyndon Pottinger)のSEPなど様々なプロデューサーのもとでも録音を行った。

クランシーは自身のクランディスク(Clandisc)、クランソン(Clansone)、ニュー・ビート(New Beat)などのレーベルを1967年に開始すると同時に、オレンジ・ストリート122番地にレコード店と仕立屋を構えた。クランシーが仕立てる洋服のように彼の音楽はいつでも'計られる'ために作られていたと言えるだろう。愛嬌溢れる彼のロックステディ楽曲'What Will Your Mama Say'はジャマイカとイギリスで大ヒットを記録、この楽曲はパーマー・ブラザーズ(Palmer Brothers)の運営するパーマ(Pama)から初期にリリースされた作品の一つである。この'What Will Your Mama Say'はイギリスのアンダーグラウンドで大成功を収め、無許可で違法放送を行うラジオ・キャロライン(Radio Caroline)で繰り返しプレイされるもナショナル・チャート入りをギリギリで逃す結果となった。

リー'スクラッチ'ペリー(Lee Perry)やバニー'ストライカー'リー(Bunny Striker Lee)と同じくクランシーも1968年レゲエへと変わりゆく音楽界で重要な存在だった。クランシーはマルチな才能を持ち、当時の間違いない一流セッション・バンドダイナマイツ(Dynamites)と制作を行なった。多少の出入りはあるも同じミュージシャンの集りは当時を代表するあらゆるトップ・プロデューサーのためにも録音を行なったが、ダイナマイツを聞くならばクランシーの録音が一番だろう。

「私にとって一緒に制作したミュージシャンたちの音はなんだか今にも爆発しそうに聞こえたね。そうだな、大きな爆発にはダイナマイトが必要だったんだ!当時、確実にジャマイカで一番のレコーディング・グループだったよ。みんなが彼らと仕事をしたがった。デューク・リード(Duke Reid)、レスリー・コング(Leslie Kong)、ダイナミック・サウンズ(Dynamic Sounds)もだ」クランシー・エックルズ

リー・ペリーの名高い'People Funny Boy'に比べてクランシーの'Feel The Rhythm'は歌詞においてもリズムにおいても違いがはっきりとしていた。そして、この楽曲はグラム・グッダル(Graeme Goodall)のレーベル、ドクター・バード(Doctor Bird)からイギリスでリリースされ大ヒットを記録した。

"If you try to reach the top they will want to see you drop
「もし天辺に辿り着こうとしているなら 彼らは君が堕ちるのを見たいんだ
And if you don't try at all, yeah, the people call you lazy bwoy..."
そして もしまったく試そうとしないのなら みんなは君を怠け者と呼ぶだろう...」楽曲'Feel The Rhythm' (1968年) より

このリズムを完全にロックステディからレゲエにアレンジしたクランシーは1970年、ジャマイカのダンスホールと録音スタジオにディージェイ現象を巻き起こすことになる録音をキング・スティット(King Stitt*読みはスティッチ)と制作した。60年代にもディージェイを取りあげたレコードはいくつかリリースされていたが、彼らの"語り"や"シャウト"などのイントロや挿入はいつもクレジットされないままだった。しかし、クランシーがスティットをレコーディング・スタジオに連れ行いったことでディージェイという芸術が正式に認められるようになった。

「彼(スティット)が歌を録音したとき、Uロイ(U Roy)も...Iロイ(I Roy)も録音していなかった...ビッグ・ユース(Big Youth)さえもまだ録音していなかった」キース・ハドソン(Keith Hudson)

そしてクランシーは'Phantom'と題名の付いた7インチシングルで最初のダブ・ミックスを制作、面白いドラムとベース、キング・スティットの挿入とアンディ・キャップ(Andy Cap)による'Herb Man'がリンフォード'アンディ・キャップ'アンダーソン(Lynford 'Andy Capp' Anderson)によってミックスされクランシーの運営するレーベル、ダイナマイト(Dynamite)からリリースされた。そしてレゲエ業界への次なる仕掛けとして発表した「Sound System International Dub LP」は当時でも程遠く先行く作品で、今はダブと言う呼び名が知られているも当時なせクランシーが'Dub LP'という言葉をタイトルに使ったかは説明が必要だ。

満足してじっと座ったり、体制についてだけを歌うのではなくクランシーは現状を変えようと活動的に動いていた。「俺は生まれた時から社会主義を教えられた」と人生を社会主義者として過ごしたクランシーは音楽が革命をもたらす真の力になると考えていたのだ。カリスマ性を持っていた人民国家党(PNP)の包み隠しのないサポーターとしてクランシーはアーティストやミュージシャンをPNPの方へとスカウトした。1971年には、ケン・ブース(Ken Boothe)、デリック・ハリオット(Derrick Harriott)、ボブ・マーリー(Bob Marley)、マックス・ロメオ(Max Romeo)、デルロイ・ウェルソン(Delroy Wilson)といったキングストンで活躍するトップ・スターたちの多くにPNPのバンドワゴンで演奏するように説得したのも彼だった。クランシーはネヴィル・マーティン(Neville Martin)による'The Message'や自身の'Rod Of Correction'など力強い政治的アンセムだけでなく、'Power For The People'もリリース。このレコードは「俺は今もタイプされた書面を自宅に持っている」と語るクランシーがマイケル・マンリー(Michael Manley)の読んだスピーチを録音し引用したもので、録音スタジオでマイケル・マンリー本人がバッキング・リズムに乗せて語ったものだった。

「1972年、私たちは圧倒的な勝利を手に入れた。疑うことなく、初期レゲエのバンドワゴンやプロテスト楽曲がその成功に大きく貢献した」マイケル・マンリー

1972年の選挙後、マイケル・マンリーは著作権や音楽家たちの権利について首相に提案できるような委員会を作らないかとクランシーにたずねたが、クランシーは彼の貢献が政府の保守派によって重要に考えられていないと感じていた。状況は悪化、彼がPNPを支持しているという理由から彼のレコードがラジオ局で放送されなくなったとクランシーはいう。

「何年か(ラジオ)放送を獲得することが出来なかった。それがレコード・ビジネスから強制的に追いやったんだ...彼らはマンリーのためにやっていた楽曲を理解できなかった。でも、それは変革を求める人たちのためだった」クランシー・エックルズ

彼は不定期に録音を続けたが、1977年にはレコードの価格高騰に反するかのようにその活動を完全にストップさせた。結果、レゲエがオーバーグラウンドで一番の成功を収めたこの時期に、文句なしのオリジネーターの1人であったクランシー・エックルズの先駆的な作品は見落とされることになったのだ。クランシーはリスナーが何を求めているかという鋭い洞察力をもって自身の音楽を制作したが、時として彼は彼らにとって革新的過ぎたのかもしれない。レゲエの最前線で彼の作品に聴かれる洗練された美しさとディージェイやダブ、突き刺すような政治スタンスは時代の風潮に必ずしもマッチしなかった。クランシーは人生を通して健康だったが、心臓発作を起こし2005年6月30日にスパニッシュタウンの病院であえなく亡くなった。

"You love the rhythm, you feel the rhythm, you got the rhythm, upset the rhythm..."
「このリズムが好きで、このリズムを感じ、このリズムがある、このリズムをひっくり返せ...」楽曲'Feel The Rhythm'(1968年) より
2012/02/09 掲載 (2013/10/18 更新)
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