Tappa(タッパ)Text by Dub Store Sound Inc.
DJとしても活動していたタッパ・ズーキーによるプロダクション。
Tappa
設立地 |
ジャマイカ キングストン |
主要スタジオ |
Channel One Dynamic |
設立者 |
Tappa Zukie |
プロデューサー |
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エンジニア |
Maxie Prince Jammy Scientist |
関連アーティスト |
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関連レーベル |
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アーティストとして様々なヒット曲を発表する傍ら、プロデューサーとしてより素晴らしい才能を発揮したタッパ・ズッキー(Tappa Zukie)。タッパ・ズッキーは70年代初期からイギリスとジャマイカを行き来し、主にバニー・リー(Bunny Striker Lee)のプロデュースで複数の作品を残していた。
1975年に本格的に帰国すると、バニー・リーの護衛として振る舞い、時折キング・タビーズ・スタジオ(King Tubbys Studio)でその声を録音した。しかしキング・タビー(King Tubby)を納得させる事は出来ず、更にバニー・リーの下を離れた彼は自身のレーベル、スターズ(Stars)を設立した。
自身の曲はもちろん、ジュニア・ロス・アンド・ザ・スピアーズ(Junior Ross and The Spears)の'Babylon Fall'、'Say Jah Jah Say'、'Bow Down Babylon'、ノーレッジ(Knowledge)の'Centry'、'Fools And Their Money'、'Make Faith'といった2つのヴォーカル・グループによるヒット曲は一際高く評価される。
また、エロール・ダンクリー(Errol Dunkley)、ホレス・アンディ(Horace Andy)といったヴェテラン・シンガーもタッパ・ズッキーのプロデュースで際立った活躍を見せ、それぞれ'Drifter'、'Natty Dread A Weh She Want'といったヒット曲を残している。
もう1人、プリンス・アラー(Prince Alla)はジュニア・ロス・アンド・ザ・スピアーズと同じくグリニッジ・ファームの出身で、彼等をバック・ヴォーカルに素晴らしいルーツ・ミュージックを発表した。彼が残した代表曲、'Bosrah'や'Daniel'、'Funeral'は旧約聖書から引用されたドレッドな作品で、1978年に発表されたアルバム'「Heaven Is My Roof」も同様にコンシャスな作品である。
スターズやタッパ(Tappa)といったレーベルでは主にバニー・リーのリズムを使って制作を行い、"People Are you Ready"というコール・アンド・レスポンスで人気の'Oh Lord'や'She Want A Phensic'が国内最大のヒットとなった。78年にはヴァージン(Virgin)から「Tapper Roots」、「Peace In The Ghetto」、「MPLA」をリリースし、タッパ・ズッキーのディージェイとしての人気も確立されていった。
80年以降のダンスホール期にはベレス・ハモンド(Beres Hammond)、グレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)、デニス・ブラウン(Dennis Brown)、ヤミ・ボロ(Yami Bolo)、マイケル・ローズ(Michael Rose)といったアーティストの作品をプロデュースし、中でもベレス・ハモンドの'Putting Up Resistance'は現在でもダンスホール・クラシックとして高い人気を維持している。
2009/08/18 掲載 (2014/04/16 更新)