Tanto Metro(タント・メトロ)Text by Dub Store Sound Inc.
79年からスタートしたサウンド・システム、メトロ・メディアのディージェイとして活躍。その後ショッキング・ヴァイブスを中心に多数のヒットを飛ばした。シンガーであるデヴォンテとのコンビネーション、'Everyone Falls In Love'が世界的大ヒットを記録し、ヒップ・ホップ・フィールドでも大きな話題となった。
Tanto Metro
本名 |
Mark Anthony Wolf |
出生 |
1969年5月27日 |
出身地 |
ジャマイカ セント・アンドリュー |
関連アーティスト |
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シンガーであるデヴォンテ(Devonte)との傑作、'Everyone Falls In Love'の世界的大ヒットで知られるディージェイ、タント・メトロ(Tanto Metro)は1969年にジャマイカのセント・アンドリューに生まれた。サウンド・システム、メトロ・メディア(Metro Media)ファミリーとして頭角を現した彼の名前は、セットのオーナーであるピーター・メトロ(Peter Metro)にちなんで付けられた名前である。
ディージェイとしてのキャリアのスタートは1982年。ウッドフォード・パーク地区を中心に活動していたサウンド・システム、ステレオ・フォニック(Stereo Phonic)でマイクを握る様になったのがきっかけであった。その活動がメトロ・メディア(Metro Media)のドン、ダディー・メトロ(Daddy Metro)ことピーター・メトロの目に留まり、活動の拠点をメトロ・メディアへと移すこととなる。1979年からシステムをスタートしていたメトロ・メディアは当時隆盛を極めており、自身が次なるステージへと歩を進める為にも、必然的な選択であったと言えよう。メトロ・メディアでの彼はその才能を遺憾無く発揮し、瞬く間に頭角を現した。そしてあっという間にシステムの看板ディージェイへと成長したのである。システム叩き上げのそのディージェイ・スキルは、ライブ・パフォーマンスでも大いに発揮され、その都度即興でリリックを繰り出し、バラエティーに富んだ彼のステージは圧巻である。
彼はメトロ・メディアに籍を置きながらも、様々なレーベルからヒット曲を世に送り出した。彼の存在をシーンに知らしめた最初のヒットはヒュー'レッドマン'ジェームズ(Hugh 'Redman' James)のレッドマン(Redman)からリリースされた'Fat Belly Man'である。この曲はジャミーズ(Jammys)からの一連のリリースで知られる当時の大ヒット・トラック、'Big Belly Man'に乗せた素晴らしいダンスホール・チューンである。その後はパトリック・ロバーツ(Patrick Roberts)のショッキング・ヴァイブス(Shocking Vibes)を中心に活動し、'Wave Dem'、'Rude Boy Cool Down'、'Yardman'、'Borrow Clothes'といった大ヒットを立て続けにチャートへと送り込んだ。シーンを代表するトップ・ディージェイとしての存在を自ら証明して見せたのである。
そして1999年、ドノヴァン・ジャーメイン(Donovan Germain)のペントハウス(Penthouse)から、シンガー、デヴォンテとのコンビネーション、'Everyone Falls In Love'が大ヒット。ジャマイカ国内のみならず、アメリカのヒップ・ホップ・シーンをも賑わせるインターナショナル・ヒットとなった。多くのリミックス盤やカバー曲もリリースされた事実を踏まえれば、その注目の大きさを想像することはさほど難しいことではないだろう。誰もが思わず口ずさんでしまうキャッチーなフックとリズミカルなディージェイのコンビネーションはニューヨーク、マイアミといったアメリカの都市部をも巻き込み、未曾有のメガ・ヒットを記録したのである。解りやすいメロディー・ラインを軸とし、ディージェイ・パートが絡むといったコンビネーション・スタイルはインターナショナル・マーケットでの成功を掴む定義の一つであるように思われる。'Everyone Falls In Love'は正にその典型であると言えよう。
2000年以降はこのコンビでのリリースが中心であるが、その勢いは衰えることなく、'Give It To Her'、Holland Bamboo'、'So Fine'といったヒットを定期的にシーンへと送り込み、更なる活躍が期待される。
2008/02/14 掲載 (2013/11/27 更新)