Larry Marshall(ラリー・マーシャル)Text by Dub Store Sound Inc.
スタジオ・ワンのサウンドを支えた類まれなる才能の持ち主。ファウンデーションと呼ばれる名曲を多数残したヴォーカリストであり、ミュージシャン、エンジニアと様々な分野で活躍した。
Larry Marshall
本名 |
Lawrence Park |
出生 |
1945年 |
出身地 |
ジャマイカ セント・アンズ ウェスト・インディーズ |
関連アーティスト |
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ヴォーカリスト、エンジニア、作曲家といくつもの顔を持つ才能豊かな人物、ラリー・マーシャル(Larry Marshall)。彼の活動を振り返ると1960年代、つまりスカが全盛だった時代にまで遡らなければならない。中国系ジャマイカンであるジャスティン・ヤップ(Justin Yap)のトップ・デック(Top Deck)レーベルからデビューを果たした彼は、'Snake In The Grass'でナンバー・ワン・ヒットも経験した。その後コクソン・ドッド(CS Dodd)のスタジオ・ワン(Studio One)へと活動を移すことになるが、彼はここでキャリアにおける最も濃密な時間を過ごすことになる。
コクソン・ドッド率いるスタジオ・ワンはジャマイカン・ミュージックの歴史を振り返る上で避けては通れない重要レーベルであることは周知の事実である。彼等の創造したサウンド、リズム・パターンは何度も生まれ変わり、現在のシーンにおいても色褪せる事の無い眩い輝きを放っている。そのスタジオ・ワン(Studio One)のサウンドをジャッキー・ミットゥー(Jackie Mittoo)、リロイ・シブルス(Leroy Sibbles)、シルヴァン・モリス(Sylvan Morris)等と共に支えたのが、このラリー・マーシャルなのである。スカタライツ(Skatalites)解散後、ソウル・ブラザーズ(Soul Brothers)、ソウル・ヴェンダーズ(Soul Vendors)、サウンド・ディメンション(Sound Dimension)といったバンドは優雅でロマンティックなロックステディーとは一線を画す、ラフでタフなサウンドを表現した。スローで甘いロックステディの特徴とは違い、スタジオ・ワンのサウンドは鋭く、ソリッド。疾走するようなスピード感と力強さに溢れている。ラリー・マーシャルがコクソン・ドッドの元に残した'Throw Me Corn'、'Mean Girl'、'Nanny Goat'といった楽曲にはそれらスタジオ・ワンの特徴が如実に表現されている。スタジオが位置したブレントフォード・ロードにちなんで称される、ブレントフォード・レゲエの典型的作品であると言えるであろう。これらの楽曲は何度もリメイクを繰り返し、多くのヒット曲に使われた。現在のダンスホールでも大きな影響力を持つ、正真正銘のファウンデーション・チューンである。他にも引き締まったルーツ・サウンドを聴かせてくれる'Run Babylon'や'I've Got To Make It'、'It Makes Me Feel'といった楽曲も非の打ち所の無い素晴らしい作品だ。
彼がブレントフォード・ロードの重要人物である理由はアーティストとしての才能だけででは無い。スタジオのエンジニアであったシルヴァン・モリスの右腕としてサウンド面でも大きな重責を担っていたのである。サウンド・システム用のダブプレートや他のアーティストへの楽曲提供、アレンジャー等、様々な分野でその才能を発揮し、レーベルの発展に大きな貢献を果たした。デニス・ブラウン(Dennis Brown)の'No Man Is An Island'、ホレス・アンディ(Horace Andy)の'Skylarking'、そしてバーニング・スピア(Burning Spear)の一連の作品は彼がエンジニアを務めている。今日におけるスタジオ・ワンへの大きな尊敬には、少なからず彼の力が関わっているのである。
スタジオ・ワンを離れた後も歴史的に非常に重要な'I Admire You'をカールトン・パターソン(Carlton Patterson)のブラック・アンド・ホワイト(Black & White)からリリースした。このレコードは、あのキング・タビー(King Tubby)前が初めてクレジットされたレコードとして知られている。ゆったりとしたレゲエのリズムに乗せた粘りのあるヴォーカルが非常に素晴らしい作品だ。
彼はジャマイカで最も才能に恵まれた人物の一人であり、ヴォーカリスト、エンジニア、作曲家と様々な分野でその才能を遺憾無く発揮し、高い評価を得た。それぞれの分野で第一級の仕事を残した数少ない人物である。
2008/04/18 掲載 (2013/11/27 更新)