Nicodemus(ニコデマス)Text by Dub Store Sound Inc.
80Sダンスホールの超重要ディージェイ。チャカ・デマスやジュニア・デマス等を率いたデマス一門のボスとして多くのフォロアーを生んだ。
Nicodemus
本名 |
Cecil Willington |
出生 |
1957年 |
死没 |
1996年 |
出身地 |
ジャマイカ |
関連アーティスト |
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1970年代後期、ソーシャリスト・ルーツ(Socialist Roots)サウンドシステムにてセレクタのダニー・ドレッド(Danny Dread)と共に活動を開始する。その後も様々なサウンドシステムを渡り歩くが、中でも当時サウンドシステムとしてアップカミング間近だったプリンス・ジャミー(Lloyd James)率いるテープ・サウンド(Tape Sound)に所属した頃にサウンドと共にいっきにスターダムへと駆け上がっていった。
当時全盛期を迎えていたディージェイ、プリンス・ファー・アイ(Prince Far I)やプリンス・ジャズボ(Prince Jazzbo)のスタイルに影響を受けながら天性の声を武器に、その後のレゲエ・シーンには欠くことの出来ないアーティストとなっていく。チャンネル・ワン・スタジオ(Channel One)で行ったルーツ・ラディックス(Roots Radics)との多数に及ぶセッションや、ボルケーノ(Volcano)のヘンリー'ジュンジョ'ロウズ(Henry 'Junjo' Lawes)や、リンバル・トンプソン(Linval Thompson)との名演を経て、更に大きなフォワードを得て行った。
その後は、プリンス からキングとなり得た名君ジャミーの元、"Sleng Teng"などビッグ・リズムをも乗りこなせるディージェイとして、コンピュータ革命の波にも順応していった。アメリカのレーベル、スケンドン(Skengdon)、ムーディスク(Moodisc)などからのリリースにより、ファン層も広げて、兼ねてからの親交であったワイルド・アパッチ(Wild Apache)こと、スーパー・キャット(Super Cat)のワイルド・アパッチ・プロダクション(Wild Apache Production)へと加入。
ジュニア・キャット(Junior Cat)やジュニア・デマス(Junior Demus)ら盟友と共に、ニューヨークでもその存在感を誇示した。同じくニューヨークの名サウンド、ボビー・コンダース(Bobby Conders)率いるマッシブB(Massive B)へ残された音源で、彼の功績を確認できる。
"ミスター・ファビュラス(Mr.Fabulous)"と称し、デマス一門のボスとしてシーンに多くのフォロアーを生んだ氏であるが、惜しまれつつ糖尿病で亡くなることとなる。死して尚、世界中のファンに今も愛され続ける氏の魂は、音源は勿論、世界中のサウンドシステムでプレイの中に生き続けている。
2007/05/01 掲載 (2013/11/21 更新)