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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Gregory Isaacs
アーティスト特集
Gregory Isaacs(グレゴリー・アイザックス)Text by Jeremy Collingwood
素晴らしいラヴァーズ楽曲、それらと同様にリアリティーを映し出した印象的なラスタ楽曲を発表した'クール・ルーラー'の名称で知られたグレゴリー・アイザックスは1970年代後期を数多くの楽曲で'支配=ルール'した。
Gregory Isaacs
本名 Gregory Anthony Isaacs
出生 1950年7月15日
死没 2010年10月25日
出身地 ジャマイカ キングストン フレッチャー・ランド
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グレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)はコンコーズ(Concords)の一員としてキャリアをスタートさせ、1970年と71年にソロ・アーティストとしてルーピー・エドワーズ(Rupie Edwards)のサクセス(Success)レーベルのもとで多数の楽曲を録音、プリンス・バスター(Prince Buster)のもとでは'Dancing Floor'さらにグレン・ブラウン(Glen Brown)のもとではすばらしい'One One Coco'を一曲づつ録音した。後に仲間のエロール・ダンクリー(Errol Dunkley)とアフリカン・ミュージアム(African Museum)を設立、'Look Before You Leap'や'My Only Lover'の素晴らしい2曲をリスナーに届けた。1972年にキングストンのスタジオを出入りし声を'貸す'ようになるが、事実グレゴリーは声以上の何かをいつでも持ち合わせていた。翌2年にわたり彼はランディーズ(Randys)、ガッシー・クラーク(Augustus Gussie Clark)、ロイド・キャンベル(Lloyd Campbell)のために録音、その中でもGGを運営したアルヴィン・ラングリン(Alvin Ranglin)は'Sweeter the Victory'でグレゴリーの悲しげなテナー・ヴォイスを上手に捉えている。

1975年、キングストンのゲットーに住むラスタの信念がレゲエを前進させる力となったこの年にグレゴリーはセルフ・プロデュースを含む素晴らしい楽曲の一連を発表した。これらには'Beautiful Africa'や'Something Nice'、さらにはナイニー(Wisnton 'Niney' Holness)のもとで制作した'Bad Da'や'Rock On'、これらすべてはキングストンで彼が有名になる手助けとなった。追記だが'Rock On'のホーン・テイク'Wild Horns'のディスコ45盤は今もオークションで高値を叩き出している。グレゴリーはアイドラーズ・レスト(Iders Rest)に自身店舗のアフリカン・ミュージアムを所有、自身のレーベルでゲットー出身のいくらかではあるがアーティストをプロデュースした。

翌年、アフリカン・ミュージアムはグレゴリーをジャマイカならびにイギリスのレゲエ界トップへと押し上げた楽曲を発表、'Rasta Business'、'Black A Kill Black'、'Warrior'や'Extra Classic'によってストリートからこの上ないク-ルで愛をスムーズに歌う仲間だと一目を置かれるようになった。このラバーズながらにもクールだという2つの要素によって彼は男女のファンを獲得、並外れた声を力強い存在感でライブは人気を集めた。

1977年にブラック・アーク(Black Ark)で録音された'Set The Captives Free'や'Mister Cop'、ロイド・キャンベルの'Slave Master'でグレゴリーは自身のグルーブ感を手にするとキャリアは跳躍。新たな12インチのディスコ45盤でさらなる大成功を同年に収め、これらにアルヴィン'GG'ラングリン(Alvin Ranglin)と録音した'Chunnie You Are My Number One'や'The Border'、ロイド・キャンベルとの'Mr Know It All'、スライ&ロビー(Sly & Robbie)の'Soon Forward'や'Motherless Children'などのヒット曲一連が続く結果となったのだった。

当然、この人気度がイギリスのレコード会社の興味を引き付けるまでにそう時間はかからなかった。ヴァージン・レコーズ(Virgin)がレーベル、フロントライン(Frontline)から レゲエに投資を開始すると、ジャマイカの作品であるグレゴリーとスライ&ロビーによるアルバム「Soon Forward」や「Cool Ruler」などクロスオーバーでの商業的成功を収める作品を輩出し、このアルバム「Cool Ruler」は彼の特徴をよく捉えていたことからグレゴリーのニックネームにもなったほどだ。

その後グレゴリーはイギリスのレーベル、プリ(Pre)と契約を交わすと「Lonely Lover」や「More Gregory」などといったアフリカン・ミュージアム制作のアルバム作品を発表。これらの作品は結果、彼に'ラバーマン'として不動のトップポジションを与えた。もちろん、様々なジャマイカ人プロデューサーたちとのリンクから(バニー・ウェイラーが制作に携わった)'Sunday Morning'というようなシングルやディスコ盤も現れた。

そしてタフ・ゴング(Tuff Gong)で録音したトラックをミックスダウンするためにポール'グルーチョ'スマイクル(Paul 'Groucho' Smykle)を雇い、クロスオーバーが可能となるサウンドをグレゴリーのために制作したがアイランド(Island)だった。さらにワリー・バードウ(Wally Bardou)のキーボード演奏が足すことでメインストリームへのアピールにもなった。ロンドンで'Night Nurse'や'Cool Down The Pace'はクロスオーバー・ヒットになるもこれらのレコードはいまや入手困難である。ゲットーのクールなクルーナー歌手としてタイラーメイドのスーツとエレガントなハットを身にまとい、ドレッドをなびかせことで女性は声を挙げ、男は彼に敬意を示した。これ以上グレゴリーの偉業が認められることはなかっただろう。イギリス生まれ西インド諸島出身者の新しい世代にとっても彼はスターであり、同時にジャマイカの音楽産業が国際的に成功することを証明したのであった。

かつてグレゴリーは「断固として人間らしくあり続けた」と言われたが、それは彼が常に誰にもコントロールされない自分であり続けたことを意味する。"ルード・ボーイ"としてのライフスタイルが彼に薬物逮捕という悪い結果をもたらしキングストンの刑務所で刑期を送ったことは驚きでもなく当然ことだった。アイランドのアルバム「Out Deh!」がこのレーベルとの最後の作品になり、イギリスでのメジャー契約を失い、彼のキャリアは再び壁に当たった。

それなりの金額でどんなプロデューサーにも録音を行なったことでグレゴリーの作品は80年代を通して市場に溢れた。ジャミーズ(Jammys)、スティーリー&クリヴィー(Steely & Clevie)、ボビー・デジタル(Bobby Dixon)のために彼は曲を書き続けた。1985年彼にとって最後の大ヒット、クロスオーバー・ヒット、「Romours」がリリース、レゲエを新しい方向へと導いたガッシー・クラーク制作の新しいハイテクなデジタル・サウンドは12インチディスコ盤で発表された。イギリスのレーベル、アシッド・ジャズ(Acid Jazz)はグレゴリーを利用し、クロスオーバーでの成功を手にしようとするも現実とはならなかった。

それ以後グレゴリー・アイザックスが第一線で活躍することはなかったが、薬物の問題で彼の声が細く鼻声になろうとも歌の録音は続けた。(この時期に彼は歯を失っている)。薬物使用が続くなかでも絶え間ない数のプロデューサーのために曲を録音、素晴らしいヴォーカルを届けた。

彼は2010年10月25日にロンドンの自宅で死去、2009年に肺ガンと診断されたが死の数週間前までパフォーマンスを続けた。59歳だった。



2020/02/21 掲載
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