Tony Rebel(トニー・レベル)Text by Dub Store Sound Inc.
ラガ全盛の90年代初頭に他のアーティストとは一線を画すカルチュアルなリリックで人気を得たトニー・レベルは、親友のガーネット・シルクと共に"スラックネス"や"ガン"を扱ったリリックがもてはやされた90年代初期のダンスホールシーンに変換をもたらした。
Tony Rebel
本名 |
Patrick Barrett |
出身地 |
ジャマイカ マンチェスター |
関連アーティスト |
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シンガーとして音楽活動を開始したトニー・レベル(Tony Rebel)は、パパ・トニー(Papa Tony)やトニー・ランキン(Tony Ranking)という名でディスティニー・アウターナショナル(Destiny Outernational)やユース・プロモーション(Youth Promotion)といったサウンドシステムで修行していた。初録音はレーベル、MGBからの'Casino'で、その後も数曲を発表するが、彼の才能が開花したのはペントハウス(Penthouse)のドノヴァン・ジャーメイン(Donovan Germain)と出会ってからである。'Fresh DJ'、'Mandella Story'といった曲や、トニー・レベル同様、ジャーメインによって才能を開花させたカッティ・ランクス(Cutty Ranks)との共演アルバム、'Die Hard Part 1'がペントハウスからの初期のヒット作に挙げられる。他にも'Fresh Vegetable'、イギリスのディージェイ、マッカB(Macka B)との'DJ Unity'、'The Herb'、'Reggae On Top'、'Sweet Jamaica'、といった曲を始め、ジャーメイン以外にも様々なプロデューサーの下で録音するようになった。
その後、96年には自身のレーベル、フレームス(Flames)を立ち上げるとすぐにエヴァートン・ブレンダー(Everton Blender)の代表曲'Ghetto People Song'を発表した。このリズムは自身が歌う'Jah Is By My Side'を始めユートン・グリーン(Uton Green)、ラス・シャイロ(Ras Shiloh)といったアーティスト達が使用し、大ヒットとなった。
2018/12/26 掲載