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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Scientist
アーティスト特集
Scientist(サイエンティスト)Text by Harry Hawks
ホープトン・オヴァートン・ブラウンとして生まれたサインティストは80年代が始まりにその多くのコメンテーターたちがその黄金期は過ぎ去ってしまったと見極めていたジャンルに新たな命を吹き込んだ。
Scientist
本名 Hopeton Overton Browne
出身地 ジャマイカ キングストン 
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ホープトン・オヴァートン'サイエンティスト'ブラウン(Hopeton Overton 'Scientist' Browne)は1960年、キングストンで生を授かった。電気工学技師でありテレビとラジオの修理を専門としていた彼の父、また電子工学への興味を通じて音楽に引き込まれたサイエンティストはサウンドシステム用のアンプを作り始めたのだった。自前のアンプでキング・タビー(King Tubby)のミックスを流し「極限状態でも壊れないように」テストをしていた。彼はよくキング・タビーから変圧器を購入し、ガラクタのテレビやアンプなどの修理を始めるようになっていった。ドロミリー・アヴェニューで変圧器のコイル巻きの補助役として最初に雇われたサイエンティストがブレイクしたきっかけはヘンリー'ジュンジョ'ロウズ(Henry ‘Junjo’ Lawes)とバーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)の'Collie Weed'を録音しミックスをした時のことだった。このときジャミーは自身のスタジオ作業に追われこのセッションに参加することができなかったのだ。「ちょうどそのときは自分のスタジオを作ったときだった...タビーのところに24時間いるわけにもいかなかったし、自分のところからタビーのところまで行き来することさえも出来なかった」タビーは2人の見習いエンジニア、ウィンストン'プロフェッサー'ブラウン(Winston 'Professor' Brown)とホープトン・オヴァートン'サイエンティスト'ブラウンを抱え、音楽の中心はルーツをベースにしたレコードからダンスホール・スタイルとして知られるものに徐々に移り変わっていた。この新しく恐れを知らない音楽を形作る作品を作ったのはヘンリー'ジュンジョ'ロウズ、ディージェイでありプロデューサーに転身した、エンクルマ・ジャー・トーマス(Nkruma Thomas)、そしてシンガーからプロデューサーに転身したリンヴァル・トンプソン(Linval Thompson)らのプロデューサーたちだった。

「サイエンティストがタビーのもとを訪れたのは1977年のことだった。電気関係の仕事のような専門職を学ぶ予定だったが、彼はエンジニアの仕事にのめり込んでいった。彼は俺のところに来て質問するようになり、教えてくれないかと聞いてきた。俺は彼の面倒を見るようになったんだ...そしてプロフェッサーさ。プロフェッサーは俺がサイエンティストに教えるようになった少し後にやってきた。プロフェッサーは専属エンジニアになったが海外に移住してしまった」キング・ジャミー(King Jammy)

タビーのスタジオはヴォーカル録音とミキシングのためだけに使用されたため、1979年、サイエンティストはライブ・レコーディングを学ぶため一時的にスタジオ・ワン(Studio One)に身を置いていた。ブレントフォード・ロードで彼が手がけた初期のミックスはドッド氏(CS Dodd)のダンスホール・スタイルへの参入と同時期であり、テナーズ(Tennors)の'Pressure & Slide'をシュガー・マイノット(Sugar Minott)が歌い上げた'Oh Mr. DC'はサイエンティスト初のミックスと言われている。録音の方法についての意見の不一致後、サイエンティストはドロミリー・アヴニューに戻り、彼の枠にはまらないミキシングのテクニックは気取らないこの若者の評判を形作り始めた。そのときのセッション・バンド、ルーツが主流だった70年代とそれに続いたデジタル・リズムのギャップの橋渡しをしたのがルーツ・ラディックス(Roots Radics)だった。彼らの音数が少なくスペースが空いているにもかかわらず切迫したリズムに対するサイエンティストの奇抜なアプローチがダブ・ミュージックに新たな風を吹き込んだ。

「俺はほとんどルーツ・ラディックスを使っていたな。セッションの前に彼らに金を渡すんだ。すると彼らはポケットに金が入っているからよりいい演奏をするんだ!1つのセッションで10個の違うリズムを作ったが、そのうちの7つはヒットしたさ...」ナクルマ・ジャー・トーマス

1981年、グリーンスリーブス・レコーズ(Greensleeves)はプロデューサーのヘンリー'ジュンジョ'ロウズとシンガーであるリンヴァル・トンプソンとそれから長く親密になる関係を築き始めた。グリーンスリーブスはサイエンティストと彼の指導者プリンス・ジャミー(Prince Jammy)のミキシング・スキルを競わせるアルバム「Scientist vs. Prince Jammy」を発表。アルバムはトニー・マクデーモット(Tony McDermott)による目を引くスリーブに包まれ、サウンドシステムのクラッシュのようにお互いが次々とミキシングをしていくといった内容だった。ボクシング・リングとダンスホールの両端にいる2人が描かれたこのアルバムはとても有名になった。レコード購入者たちは直ちにこの戦いの勝者を選び、グリーンスリーブスからその次の年の暮れにリリースされる予定だった次のルーツ・ラディックスのダブ・アルバムは「Heavyweight Dub Champion」と題され、サイエンティストの名だけが表記されたのだった。

1981年の「Scientist Meets The Space Invaders」のリリースはサイエンティストが海外で評価されるきっかけとなった。2年以上にも続いた、全盤トニー・マクデーモットによる素晴らしいアート・ワーク付きの想像力に富んだタイトルがつけられた一連のアルバム「Meeting The Space Invaders Scientist Encountered Pac Man」、「Rid The World Of The Evil Curse Of The Vampires」、「Winning The World Cup」が続々と、イギリスで発表された。これらのアルバムは通たちの間では名盤の地位に値するジャマイカでの最後のダブLPとされている。まるで一昔前、キング・タビーにしていたように、レゲエ・ビジネスにおける全てのプロデューサーたちはサイエンティストの名前をカバー一面に装飾したアルバムのリリースに大忙しのように見えた。

キング・タビーの下を去った1982年、サイエンティストは16トラックの設備があるチャンネル・ワン(Channel One)に身を置き、自身の技術にさらに磨きをかけ、再度、生のミュージシャンたちを録音し始めた。マックス・フィールド・アヴェニューでの最初の録音は「まるでライヴ・コンサート会場で働いているかのようだった」と回想する。リタ・マーリー(Rita Marley)のタフ・ゴング(Tuff Gong)スタジオでエロール・ブラウン(Errol Brown)と活動を行った彼は「もしここを始めた本人、ボブ・マーリー(Bob Marley)がいたら今頃楽しんでいただろう」と一言している。1985年に彼はアメリカに移住するとワシントンDCでサウンド・エンジニアとして働いたのだった。

ヘンリー'ジュンジョ'ロウズのプロデュースしたアルバム「Scientist Rids The World Of The Evil Curse Of The Vampires」に収録されている5つのトラックがゲーム、"Grand Theft Auto 3"に登場する"K-Jah radio station"に取り上げられると音楽の著作権と所有権に関する長期に及ぶ法的なもつれへと発展してしまった。

裏方ともいえるミキシング・デスクでのサイエンティストの活動は行き詰っていた70年代後期のダブ・ミュージックを支え、彼はレゲエ・ミュージックの発展に必要不可欠な役割を担った人物としてこの先も永遠に認知され続けるだろう。彼は大胆で攻撃的な真新しいサウンドを世界中の若者たちに紹介し、彼のうつろに響く一切の妥協を許さないミックスの水準は年々名声を成長させ続けている。ダブおける多くの先人たちよりもおそらく今現在の若いオーディエンスたちはおそらく彼の名前の方を知っているだろう。
2011/07/20 掲載 (2012/11/01 更新)
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