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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Ranking Joe
アーティスト特集
Ranking Joe(ランキン・ジョー)Text by Harry Hawks
ジャマイカにおいて最もエンターテイナー性のあるディージェイの一人であるランキン・ジョーは輝かしいキャリアを歩んできた。
Ranking Joe
本名 Joseph Jackson
出生 1959年7月1日
出身地 ジャマイカ キングストン 
関連アーティスト
1959年7月1日生まれのジョセフ"ランキン・ジョー"ジャクソン(Joseph 'Ranking Joe' Jackson)は彼の父親が小さなサウンドシステムを運営していたジャマイカ、キングストンのウォルトハム・パーク・ロードのエリアで育ち、彼は幼少期から自身の父のサウンドシステムでディージェイの練習に励んでいた。彼の良き友であったシンガーのカール・ドライデン(Carl Dryden)はジョーにディージェイのキャリアを志すように薦めた。

「彼は俺のことを一度ボヘミア・クラブに連れて行ったことがあったんだ。それはタレント・ショーみたいなもので、俺たちはただそこに行って優勝してしまったんだ」ランキン・ジョー

デニス・アルカポーン(Dennis AlCapone)、リジー(Lizzie)、スミス・ザ・ウェポン(Smith The Weapon)らと共にエル・パソ・ハイ・ファイ(El Paso Hi Fi)などを含むいくつもの地元のサウンドシステムで活動をしていたジョーのライバルはディリンジャー(Dillinger)だった。ディージェイ仲間のジョセフ・スプラウディング(Joseph Splauding)はすでにビッグ・ジョー(Big Joe)として名を売っていたためジョー・ジャクソンはもともとリトル・ジョー(Little Joe)として知られていた。そしてこれが長年に渡りある一定の混乱を引き起こしていたのだった。ジョー・ジャクソンのデビュー・レコーディングは1974年、クレメント"コクソン"ドッド(CS Dodd)のスタジオ・ワン(Studio One)においてラリー・マーシャル(Larry Marshall)の"Mean Girl"に乗せた'Gun Court'を"リトル・ジョー"としてディージェイしたときだった。それからというもの彼はバニー・リー(Bunny Striker Lee)の'Tradition'やロイディー・スミス(Lloydie Smith)の'No Vacancy For Bald Head'、ピート・ウィルソン(Pete Wilson)の'750 Four'など様々なプロデューサーたちと共に録音をした。1977年、彼は名前をランキン・ジョーに変えるように薦めたプリンス・トニー・ロビンソン(Prince Tony Robinson)と活動を始め、TRグルーヴマスター(TR Groovemaster)からの初LPを含む非常に人気のあった7インチの一連をリリースした。それと同時期にジョーはジョー・ギブス(Joe Gibbs)のために最初期のディスコ・ミックス楽曲を数曲レコーディングし、12インチでリリースされたカルチャー(Culture)の'Baldhead Bridge'とマイティ・ダイアモンズ(Mighty Diamonds)の'Just Like A River'でのディージェイは止まることのない興奮を計り知れないほどに与えた。

70年代が終わりに近づくとランキン・ジョーはスライ&ロビー(Sly & Robbie)のレーベル、タクシー(Taxi)から'Stop You Coming And Come'とシュガー・マイノット(Sugar Minott)のレーベル、ユース・プロモーション(Youth Promotion)からリリースした名曲と共に躍進を見せた。'Youth Man Promotion'は先進性と革新的なユース・プロモーションを祝う曲であり、シュガーの所有するレーベル最初のリリースの一つだった。

ランキン・ジョーはサウンドシステムで生のディージェイをやめることはなかった。デビュー・レコーディングのためにジョーをスタジオ・ワンに連れて行ったレイ・シンボリック(Ray Symbolic)の運営するレイ・シンボリック・ザ・バイオ・ハイ・ファイ(Ray Symbolic The Bio Hi Fi)で専属ディージェイをしていたジョーはレイがサウンドを作り直すため活動を休止していたとき、伝説的なディージェイであるUロイ(U Roy)のスター・ガヴ・サウンド(Stur Guv Sound)で、セレクターをしていたジャー・スクリュー(Paul Love)と共に活動をしていた。Uロイの息子の名前から名付けられたスター・ガヴはしばしばステレオグラフ(Stereograph)という名でも知られ70年代の後半を通しキングストンにおいてのトップ・サウンドシステムとしての確固たる地位を築いていた。ジョーはUロイから数々のアプローチの仕方を学んだが、レイがジョーとスクリューに復帰して欲しいとのオファーを断りきれず70年代が終わるまで2人はレイ・シンボリック・ハイ・ファイに再び戻ることになった。

シンガーであるエロール・ダンクリー(Errol Dunkley)がレイをツアーのためにイギリスに招待し、1980年レイ・シンボリック・ハイ・ファイはジャマイカのサウンドシステムで初めてイギリスでツアーを行い、ジョーとスクリューをスーパースターの地位に押し上げたのだった。ジャー・スクリューのその場に最もふさわしいチューンをかける的確な才能はスター・ガヴとレイ・シンボリックの成功の重要部分を占め、彼は自身のレコードのプロデュースをはじめ、バーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)の今日における名曲をリリースし大成功を収めたレーベル、タイム・ワン(Time One)を発足させた。一連のアルバムとシングルを様々なプロデューサーたちのために録音したジョーは生々しいルーツから真剣なスラックネスの曲まで多芸な才能を見せ付けた。90年代半ばイギリスをベースに活動をしていたブラッド・アンド・ファイア(Blood & Fire)サウンドシステムに加入、ベテランのディージェイ仲間のデニス・アルカポーン、Uブラウン(U Brown)、ジョセフ・コットン(Joseph Cotton)と共に彼は全く新しいオーディエンスたちにエネルギーの尽きることのないエンターテイメントのスタイルを紹介した。

ジョーは40年間のキャリアで世界中のレゲエ・オーディエンスたちからの人気を1度も失ったことがない。キングストンの激しい音楽業界の中で彼が最初に努力して得た評価は多くの同世代のアーティストたちに比べて長く生き続けている。そして彼は今、ニューヨークを拠点に活動を続けている。
2019/11/01 掲載
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