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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Black Uhuru
アーティスト特集
Black Uhuru(ブラック・ユフル)Text by Harry Hawks
ヴォーカル・ハーモニーが有益で流行してない時代、ブラック・ユフルは彼らの音楽と"自由"のメッセージをキングストンのウォーターハウスから国際的なステージへ届けた。
Black Uhuru
メンバー Ducky Simpson
Garth Dennis
Don Carlos
Michael Rose
Puma Jones
Junior Reid
活動期間 1974 ~
結成地 ジャマイカ キングストン ウォーターハウス
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長年培われてきたジャマイカの伝統であるハーモニー・ヴォーカルは何年もの間ジャマイカ音楽を支えていたが、70年代が終わりに近づくにつれレゲエのオーディエンスたちの興味はダブ、ディージェイ、ダンスホールに移り、それは不運にもハーモニー・ヴォーカルの大胆さの欠如を意味した。しかし勢いのあるスタイルと流行とは正反対にハーモニー・シンギングに情熱をささげる例外もいくつもあり、その中の1つのグループは世界的な名声を獲得したブラック・ユフル(Black Uhuru)だった。

オリジナルのブラック・ユフル(ユフルはスワヒリ語で自由を意味する)はロイヤルズ(Royals)、ジェイズ(Jayes)、マイティ・トラベラーズ(Mighty Travellers)などを輩出した名高いウォーターハウスで1974年に結成された。キングストン11のヤードで練習に練習を重ねスタイルを確立したデレク'ダッキー'シンプソン(Derek 'Duckie' Simpson)、ドン・カルロス(Don Carlos)、ルドルフ'ガース'デニス(Rudolph 'Garth' Dennis)のトリオは気が滅入るほどにキングストンのレコード・プロデューサーたちの下へと通った。ランディーズ(Randys)のクライブ・チン(Clive Chin)のために録音した彼らの素晴らしい'Going To Zion'は何年間もリリースされず、トミー・コーワン(Tommy Cowan)が彼らによるカーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)の美しいカヴァー'Romancing To The Folk Song'をダイナミック(Dynamic)のレーベル、トップ・キャット(Top Cat)からリリースし'Folk Song'として"ユフル"名義でリリースするもヒットには至らなかった。

ドン・カルロスはソロのキャリアを歩むことを決意、ガース・デニスはウェイリング・ソウルズ(Wailing Souls)に加わったが、そこで止まらなかったダッキーは以前ジェイズで歌っていたエロール・ネルソン(Errol Nelson)と新たなリード・シンガー、マイケル・ローズ(Michael Rose)を加入させた。マイケルのソロのキャリアはウィンストン'ナイニー・ザ・オブザーヴァー'ホルネス(Winston ‘Niney’ Holness)との'Guess Who's Coming To Dinner'、ディッキー・ウォング(Dickie Wong)のレーベル、ティット・フォー・タット(Tit For Tat)への'Observe Life'、プリンス・ジャミー(Lloyd James)とヴィヴィアン'ヤビー・ユー'ジャクソン(Vivian Jackson)とのコラボレーションでイギリスのサウンドシステムのベテラン、ケン'ザ・マイティ・ファットマン'ゴードン(Ken 'The Mighty Fatman' Gordon)の下で制作した名曲'Born Free'などが含まれる。ウォーターハウスのルーツを忘れることのない新生ブラック・ユフルを現実化させたのは当時キング・タビー(King Tubby)のドロミリー・アヴェニュー・スタジオで専属エンジニアをし、自身のレーベルの立ち上げに取り掛かっていたプリンス・ジャミー(Prince Jammy)だった。ジャミーはアルバムをリリースできるほどの楽曲を新しく生まれ変わったブラック・ユフルと共に録音し、1977年にジャマイカはジャミーの自身のレーベル、イギリスではサード・ワールド(Third World)直列のカウント・シェリー(Count Shelly)からリリースされた「Love Crisis」はレゲエ・ミュージックにおける影響力の強い新しい力の到来を予期させた。このアルバムはブラック・ユフルのキャリアの土台となっただけでなく、重要な足がかりとなった作品だった。

エロール・ネルソンはジェイズに復帰し、ラス・マイケル・アンド・ザ・サン・オブ・ネガス(Ras Michael & The Son Of Negus)のダンサーをしていたアメリカ、サウス・カロライナ出身の前社会福祉士のサンドラ'ピューマ'ジョーンズ(Sandra 'Puma' Jones)が加入した。彼女の空気のようなハーモニーはグループのミュージックに全く新しい一面を加え、'Abortion'、'General Penitentiary'やローリング・ストーンズ(Rolling Stones)のキース・リチャーズ(Keith Richards)をリード・ギターにフィーチャーしたマイケルの'Shine Eye Gal'の新しいヴァージョンなどの一連の素晴らしいヒット曲シングルをスライ&ロビー(Sly & Robbie)のレーベル、タクシー(Taxi)に残した。アルバム「Showcase」はヴォーカル・トラックから滑らかにスライ&ロビーの強力なリズムのダブに接続するトラックを収録し、イギリスのレーベル、Dロイ(D-Roy)からリリースされた。この影響力の強いアルバムは後にジャマイカでタクシーから、イギリスでヴァージン(Virgin)、アメリカではハートビート(Heartbeat)からリリースされた。彼らの1980年、オチョ・リオスで行われたレゲエ・サンスプラッシュ(Reggae Sunsplash)への出演は彼らのキャリアにおいて更なる起爆剤となり同年ブラック・ユフルはクリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)のアイランド(Island)と契約を交わした。

それ以前にデニス・ブラウン(Dennis Brown)のレーベルDEBで録音した2枚のシングル'Rent Man'と脳裏に焼きつく'Wood For My Fire'は彼らのプロフィールを更に拡大した。彼らはアイランドにおけるファースト・アルバム「Sinsemilla (またはStalk Of Sensimillia)」を制作するためにスライ&ロビーをプロデューサー/ミュージシャンとして再度迎え、アイランドから翌年リリースされた、初回盤は赤のカラー盤だった「Red」はイギリスのアルバム・チャートで第28位まで上り詰めた。スライ&ロビーをバックにつけた彼らのライブ出演は大成功を収め1981年にはローリング・ストーンズと共に国際的にツアーを回った。同年「Love Crisis」はジャミーによりリミックスされ「Black Sounds Of Freedom」としてグリーンスリーブス(Greensleeves)レコーズからリリースされた彼らのデビュー・アルバムは更に広い層のオーディエンスの耳に触れることになった。彼らはツアーと録音を続け、ヒット・シングル'What Is Life'を収録した1985年のアルバム「Anthem」はグラミー賞のBest Reggae Albumを受賞した。

「デビューからの5枚のアルバムで彼らは妥協のないルーツ・ミュージックを探求し、またその行為はこのジャンルの限界の大部分を超越してみせた」スティーブ・バロウ(Steve Barrow)、ピーター・ダルトン(Peter Dalton)

1986年、70年代にオーガスタス・パブロ(Augustus Pablo)のために歌っていたデルロイ'ジュニア・リード'(Junior Reid)がマイケル・ローズの代わりにリード・シンガーとなり、タクシーからリリースされた'Fit You Haffe Fit'で再度ヒットした。それから彼らはアメリカの、後に彼らのこの会社での最初にリリースされたアルバム「Brutal」に収録された'Great Train Robbery'をプロデュースしたアーサー・ベイカー(Arthur Baker)を迎えた、RAS(Real Authentic Sound)レコーズと契約を交わした。このトラックはマイナー・ヒットになり、有名な「Grand Theft Auto」のサウンド・トラックにも収録されることとなった。しかしこのグループのダンスホールに対する姿勢と自身の土台となったサウンドから離れたことで彼らのルーツ・レゲエ好きのオーディエンスたちを遠ざけ始めた。ピューマは健康状態を理由にグループを離れ、ジャネット'オラファンケ'リード(Janet 'Olafunke' Reid)が代わりを務めたが、ピューマの健康状態は悪化し、1990年に癌により死去した。ジュニアは1988年にグループを脱退、ダッキーはオリジナル・メンバーのドン・カルロスとガース・デニスなどと再度組んだS時期を含む様々なラインナップで続く年を活動し、2004年には"Black Uhuru featuring Michael Rose"としてマイケル・ローズとも共演した。

「アイランド/マンゴ(Mango)から国際的にディストリビュートされた3枚の素晴らしいアルバムとヴァージン、続いてアメリカのハートビートからリリースされたスライ&ロビーとのヒット曲のコンピレーションがあったにもかかわらず、70年代後期と80年代早期のダイナミックで革新的だったこのレゲエ・グループは不運なことにボブ・マーリー(Bob Marley)の死により空いてしまった世界的なレゲエ・スーパースターの位置を十分に埋められるほどの姿勢と音楽を単純に追求しすぎてしまった」スティーブ・バロウ、ピーター・ダルトン

ブラック・ユフルの妥協を許さない姿勢はこのグループの一貫したクロスオーヴァーの成功から遠ざけたことは間違いないが、そのクオリティを維持していたことがレゲエの専門家たちの間でジャマイカから現れた才能に溢れ、重要で影響力の強いヴォーカル・グループの1つとして彼らの名前が深く尊敬され続けている理由だ。

参考文献:Steve Barrow & Peter Dalton: Reggae The Rough Guide Rough Guides Ltd. 1997
2018/09/26 掲載
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無断転載は固くお断りしております
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