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トップ特集・オリジナルコンテンツアーティスト名鑑Macka Diamond
アーティスト特集
Macka Diamond(マッカ・ダイアモンド)Text by Harry Hawks
レゲエ、特にダンスホール・レゲエといえば、男らしさと性差別的な態度が悪名を轟かせている。また、男性上位のジャマイカン・ミュージックの中で女性アーティストたちに与えられるチャンスは"限定されている"、と表現するのは大変控え目な言い方だ。少数の精鋭だけがこの"ガラスの天上"を破りブレークするが、マッカ・ダイアモンドはそれを粉砕しているように見える。
Macka Diamond
本名 Charmaine Munroe
出生 1971年
出身地 ジャマイカ キングストン 
関連アーティスト
シャーメイン・モンロー(Charmaine Munroe)は1971年、キングストンで生まれ、育ったポートモアで音楽に没頭した。ディージェイとして伝説的なウィンストン・スコットランド(Winston Scotland)と肩を並べる彼女の父親、フィリップ・モンロー(Phillip Munroe)はサウンド・オブ・ミュージック(Sound Of Muzik)サウンドシステムを取り仕切っていた伝説的な人物であり、歴史にその名を刻む'Violin Rock'を含む、70年代初期に多くの名曲をリリースしたプロデューサーでもあった。

若き日のシャーメインはHoly Childhood High Schoolに通っていたが、早くから勉強に集中できないほど音楽の魅力に取り付かれ、美術の授業を抜け出しては学校の裏で友人たちを楽しませながら、類稀な才能を磨いていった。若きシャーメインは女性ディージェイの草分け、シスター・ナンシー(Sister Nancy)の影響を受け、「すぐに同じレベルまで行ってやる...」という決意も彼女の母親は望むわけがなかった。しかし母親がアメリカに移住するとシャーメインはSixth Formには進学せず、1987年、学校を退学した。彼女は友人にもう1人の女性ディージェイのパイオニア、レディ・ジュニー(Lady Junie)の居場所を尋ね、彼女の自宅に電話して自分を売り込んだ。ジュニーがシャーメインの才能に気付くにはそう長くはかからず、彼女の面倒を見始めた。そしてジュニーの弟子になった彼女はキングストンの音楽ビジネスの著名人たちに紹介されていった。

「私は当時ビッグ・ネームだった女性アーティストに影響を受けたんだ...ママ・ナンシー(Mama Nancy)、レディ・アン(Lady Ann)、レディ・ジュニー、レディーG(Lady G)さ」マッカ・ダイアモンド

レディ・チャーム(Lady Charm)として名を売ろうとしていたシャーメインだったが、彼女の初めてのレコードはメジャー・マッケレル(Major Mackerel)の'Don Ban'へのアンサー・ソングだったためレディ・マッケレル(Lady Mackerel)の名前でリリースすることを強要されてしまった。しかし'Don Girl'がヒットするところを始めて目の当たりにしたシャーメインは涙ながらに喜んだ。彼女は続けてキング・タビー(King Tubby)のキングストン11(Kingston 11)、サウンドシステムの最高権威であるストーン・ラヴ(Stone Love)でレコーディングし、ソロのパフォーマーとして、ライヴとレコーディングのコンビネーションで、ディージェイのウィッカー・マン(Wicker Man)やキャプテン・バーキー(Captain Barkey)と彼のウォーム・デム・クルー(Worm Dem Crew)と活動をした。彼女は休むことなく活動を続け、独自のスタイルとステージでのパフォーマンスに磨きをかけ、すぐにキングストンのダンス・ホールの若手成長株として注目された。

「夢は諦めちゃいけないのよ。自分自身を信じるのなら活動を辞めちゃいけない」マッカ・ダイアモンド

2003年、シャーメインはレディ・マッケレルを卒業し、マッカ・ダイアモンド(Macka Diamond)と名乗り始める。新しい名前と共に、彼女のリリックのアプローチはよりアグレッシブになり、マッカ・ダイアモンドはヴァイブス・カーテル(Vybz Kartel)の大ヒット、'Tek Buddy'に'Tek Con'で臆することなく応戦した。ヴァイブス・カーテルは、女性は欲しいものを手に入れるため体を売ると歌ったが、マッカ・ダイアモンドはヴァイブス・カーテルと女性たちがワイド・テレビの中だけにしておきたい女嫌いの男性たちに向けて下品な言葉で返答してみせた。

「全ての女性アーティストがもっと真剣になれば変えることもできるのさ...男のようにもっとアグレッシブになれば」マッカ・ダイアモンド

翌年の夏、'Done A Ready'がジャマイカのチャートでナンバーワンを獲得し、マッカ・ダイアモンドが続けてきたハード・ワークはついに報われた...女性アーティストでは4年ぶりのことだった...これはダンスホール業界で男女差別をする傲慢たちを容赦なく非難した歌だった。彼女のキャッチ・フレーズ、"Money O"がどこからでも聴こえてきた2006年、マッカ・ダイアモンドはStingのステージに高価なドル札を重ねて作ったドレスを纏い登場し観客を驚かせ、その後には「Money O」のタイトルでデビュー・アルバムをリリースした。

「私は真のエンターテイナーだ。私はいつもオーディエンスたちに私のベストをぶつける。なぜならこれは私のとてもプライベートな体験だからさ」マッカ・ダイアモンド

マッカ・ダイアモンドの多彩な才能はジャマイカで初となる公式ダンスホール小説、「Bun Him!!!」とページターナー・パブリッシング(Pageturner Publishing)から出版された「The Real Gangster」という2つのノベルで証明されている。2011年にはポートモアのウェイヴス・ビーチで行われた自身の40歳のバースデイ・パーティーで自叙伝、「Grown And Sexy」を発表し、その後にThe International Reggae & World Music AwardsでBest Female Rapper/DJを受賞した。彼女のセカンド・アルバム、「Don't Disturb Me」は2012年の初めに自身のマニー・オー・プロダクションズ(Money Ooh Productions)からリリースされた。

「"Grown and Sexy"は全て私のことなのさ。私の今までの人生、成長することやセクシーになる意味について。駆け出しの頃のことから、困難や上がり下がり、そしてどうやってこの業界に入ったのか全て書いてあるんだ」マッカ・ダイアモンド

マネー・ゴッデス(Money Goddess)はアーティストであるが故の困難な問題を多く乗り越え、キングストンの活発的なダンスホール・シーン環境の中で完全に自分の形を手に入れた。マッカ・ダイアモンドは名前やスタイルの移り変わり、グループ、デュオ、ソロとしての活動を経験してきたが、1度たりとも10代の頃に抱いた夢を諦めようとはしない。

「色んなやり方を試してきたんだ。自分のイメージ、名前、スタイルを何度も変えた。そして辿り着いたんだ...私は女性が言いたくても言えないことを代弁しているのさ...」マッカ・ダイアモンド

彼女が経験してきた逆行は彼女をより強くしてきた。例え、男性上位の世界未だに存在しても、マッカ・ダイアモンドのようなアーティストがそれを変えてくれることだろう。
2015/10/30 掲載 (2015/10/30 更新)
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