Music Master(ミュージック・マスター)Text by Dub Store Sound Inc.
'Witty'ことウィットフィールド・ヘンリーによって運営されたレーベル。ニューヨークのレコード店からスタートし、イギリス、ジャマイカへも独自のサウンドを発信した。
Music Master
設立地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク ブルックリン |
主要スタジオ |
Creative Sounds Music Works |
設立者 |
Whitfield Henry |
プロデューサー |
|
エンジニア |
Oswald Palmer Peter Chemist Phillip Smart Sylvan Morris Voop |
関連アーティスト |
|
関連レーベル |
|
80年代から90年代にかけて、ニューヨーク、ジャマイカのダンスホール・シーンで大きな存在感を放ったミュージック・マスター(Music Master)。プロデューサーのウィットフィールド・ヘンリー(Whitfield Henry)通称ウィッティ(Witty)はジャマイカ出身であるが、ニューヨーク移住後に成功を収め、自身の音源をジャマイカへと持ち込んだ。所謂逆輸入スタイルという部分でも注目を集め、数々のヒット作を手掛けていった。
1980年にニューヨークへと移住したウィットフィールド・ヘンリーは、1981年にミュージック・マスターというレコード・ショップをブルックリンにオープンさせる。幼馴染であったオーガスタス・ガッシー・クラーク(Augustus Gussie Clarke)によって命名されたミュージック・マスターは、当初はジャマイカの作品をニューヨークにて販売するディストリビューション業が中心であった。ディストリビューターとして業界での下地を作ったウィッティは1983年から本格的にプロデュース業を開始、ガッシーを通して知り合ったジョニー・リンゴ(Johnny Ringo)、イエローマン(Yellowman)、トーヤン(Toyan)、リー・ヴァン・クリフ(Lee Van Cliff)といったアーティストの作品を皮切りに、シェリー・サンダー(Shelly Thunder)、トレヴァー・スパークス(Trevor Sparks)、スラギー・ランクス(Sluggy Ranks)、ジュニア・ウィルソン(Junior Wilson)といったニューヨークのアーティストも手掛けた。
1986年からはジャマイカにも進出し、ハーフウェイ・ツリーに店舗を構えた。これによりジャマイカへの独自の流通経路も確保し、ニューヨーク・アーティストの楽曲もジャマイカへ送り込まれた。そのまた逆も然りでジャマイカからはタイムリーに音源がニューヨークへと流れていった。
自身のレコード・リリースもニューヨークでは彼のニックネームを冠したウィッティ、ジャマイカではミュージック・マスターというように使い分けられてリリースされた。彼が手掛けたヒット曲、アルトン・ブラック(Alton Black)とブラッカー(Blacker)の'A Gal A Watch You'やシェリー・サンダーの'Kuff'、'Yu Man A Rush Me'、エコー・マイノット(Echo Minott)とジェネラル・ジャー・マイキー(General Jah Mikey)によるドリフターズ(Drifters)のカバー、'When My Little Girl Is Smiling'、スラギー・ランクス(Sluggy Ranks)の'95% Black In Jail'といった楽曲はジャマイカのシーンでも熱狂的に受け入れられ、更にジャマイカのトップ・パフォーマー、シャバ・ランクス(Shabba Ranks)やジョニー・オズボーン(Johnny Osbourne)、バーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)、ニンジャマン(Ninjaman)、サンチェス(Sanchez)等のヒット曲も手掛けている。
2000年頃までプロデュース業を行ったウィッティだったが、その後はプロデュース業からは撤退、しかしイベント'Uptown Mondays'のCEOを務める等様々な形で音楽と関わっている。
2009/05/05 掲載 (2014/04/17 更新)