Wild Apache(ワイルド・アパッチ)Text by Dub Store Sound Inc.
80's ダンスホールのスーパー・スター、'Original Don Dada'ことスーパー・キャットのレーベル。レーベル・カタログには現在のダンスホール・シーンでも絶大な影響力を持つクラシック・チューンばかりが並ぶ。
Wild Apache
設立 |
1988年 |
設立地 |
アメリカ合衆国 マイアミ |
主要スタジオ |
A Class Studio Easy Street HC & F Studio Music Works Penthouse |
設立者 |
William Maragh |
プロデューサー |
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エンジニア |
Gussie P Tony Kelly |
関連アーティスト |
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関連レーベル |
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インド系ジャマイカ人、スーパー・キャット(Super Cat)ことウィリアム・マラジ(William Maragh)によって設立されたレーベル。彼は通称"ドン・ダダ(Don Dada)"としても知られ、アーティスト名の"キャット(Cat) "とはジャマイカではインド系の人間を指す。
ラテン語から来る"ドン(Don)"とは単純な"様また殿"という意味合いだが、スーパー・キャットの言う"ドン"とは物理的、精神的に自分を理解し人と接する。そしてザイオンに存在する種族の"ドン"で、信仰を守り、征服の獅子王を支持する物である。こうした意味合いを理解すれば彼のコンシャスなスタイルが見えてくるだろう。
彼もまたサウンド・システムからのし上がった生粋のディージェイであり、アメリカでヒップ・ホップやR & Bとの融合を果たすという大きな功績を残した。ジャマイカ人パフォーマーの中で最も早い時期にアメリカで成功した人物と言えよう。
スーパー・キャットはウィンストン・ライリー(Winston Riley)のテクニクス(Techniques)でデビューを果たし、ケネス・ブラック(Kenneth Black)のスケンドン(Skengdon)からの'Pops'が初のヒット作となる。その後両レーベルに'Cry Fi Di Youth'、'Si Boops Deh'、'Permit Fi Gun'、'Mud Up'、'Sweets For My Sweet'といったヒット曲を録音し、ジョージ・パン(George Phang)のパワー・ハウス(Power House)には'Under Pressure'、'Sit Down Pon It'を残した。
こうして素晴らしいキャリアを構築したスーパー・キャットだったが、音楽業界の在り方への不満から自身のキャリアをコントロールする為に独立。1988年、ニューヨークにてワイルド・アパッチ・プロダクションズ(Wild Apache Productions)を設立。プロダクション名にはアーリーB(Early B)によって名付けられた彼のニック・ネームがそのまま使用された。
初のリリースとなった自身のアルバム、「Sweets For My Sweet」は大きな反響を呼び、ヒット。'Come Down'、'Mud Up'、'Nuff Don Dead Yah'、'Jah Run Things'といった楽曲が収録された。
ブロ・バントン(Burro Banton)、ニコデマス(Nicodemus)、ジュニア・キャット(Junior Cat)、ジャック・ラディックス(Jack Radics)、イーク・ア・マウス(Eek A Mouse)等の楽曲も手掛け、初の試みとなる"Three Way DJ Album"、スーパー・キャット、ニコデマス、ジュニア・デマスをフィーチャーした「Cabin Stabbin」をリリースした。
更にすでにヒットを記録していた'Nuff Man A Dead'は1991年にメジャー・レーベル、コロンビア(Columbia)からリリースされたコンピレーション、「Dancehall Reggaespano」に収録され、これを期にコロンビアと契約を果たすと1992年にアルバム「Don Dada」を発表。メインストリームで新たなジャンルを築くことになった。こうして幅広いヒップ・ホップ層のファンを獲得し、"Raggamuffin Hip Hop"のさきがけとなった。
2009/06/30 掲載 (2014/04/17 更新)