Time One(タイム・ワン)Text by Dub Store Sound Inc.
ポール・ラブ(Paul Love)ことジャー・スクリュー(Jah Screw)によって運営されたレーベル。バーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)を国際的スターへと成長させた手腕は高く評価されている。
Time One
設立地 |
ジャマイカ キングストン |
主要スタジオ |
A Class Black Scorpio Channel One Easy Street king Jammys Music Works Penthouse |
設立者 |
Jah Screw |
プロデューサー |
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エンジニア |
English Fatman Gussie P Jah Screw Joe Richards Murphy Nick Hopkins Paul Palmer Stumpy |
関連アーティスト |
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関連レーベル |
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ポール・ラブ(Paul Love)によって設立、運営されたレーベル、タイム・ワン(Time One)。彼は通称ジャー・スクリュー(Jah Screw)の名で知られている人物である。ジャー・スクリュー(Jah Screw)はU・ロイ(U Roy)がオーナーを務める伝説のサウンド・システム、キング・スター・ガフ・ハイ・ファイ(King Stur Guv Hi Fi)のセレクターとして業界でのキャリアをスタートさせた。オーナーであるU・ロイ(U Roy)、ランキン・ジョー(Ranking Joe)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)等と共に活躍したこのサウンド・システムはダンスホールの爆発的な人気の確立に大きな役割を果たした。しかし1980年の選挙の際、暴徒によってサウンド・システムが破壊されるという事件が起こってしまう。ジャー・スクリュー(Jah Screw)はランキン・ジョー(Ranking Joe)と共に、活動休止を余儀なくされたキング・スター・ガフ(King Stur Guv)を離れ、同じくトップ・サウンドにして大きな影響力を持った、レイ・シンボリック・ハイ・ファイ(Ray Symbolic Hi Fi)へと活動の場を移した。
レイ・シンボリック・ハイ・ファイ(Ray Symbolic Hi Fi)ではイギリス等も精力的にツアーし、高い評価を得た。イギリス・ツアーを大成功させた彼等はジャマイカへと帰国、ジャマイカでの更なる活躍が期待された矢先、オーナーであるレイを悲劇が襲った。1981年彼は突然この世を去ってしまうのである。彼の死亡原因については、飲酒運転での事故死、警官との銃撃戦によって等の諸説が存在する。ジャー・スクリュー(Jah Screw)はこれを期にランキン・ジョー(Ranking Joe)と共同でシャープ・アックス(Sharp Axe)プロダクションを設立。プロデューサーとしてのキャリアを歩み始めたのである。
彼が手掛けた特筆すべき最初のヒットはバーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)による'Under Mi Sensi'である。1984年のシーンで大きな存在感を放ったこの曲は、ハーブ・スモーカー達のアンセム・ソングとなり、1990年代には新たに生まれ変わったリズムに乗せてビーニ・マン(Beenie Man)を迎えたヴァージョンもリリースされた。'Under Mi Sensi'に続いてリリースされた'Here I Come'ではイギリスのシーンを巻き込んだクロスオーヴァーなヒットを記録している。跳ねるようなアップテンポなリズムに乗ったバーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)のエッジの効いたヴォーカル、現在のダンスホールでも抜群の人気を誇るビッグ・チューンである。バーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)の魅力をここまで最大限に引き出したジャー・スクリュー(Jah Screw)のプロデューサーとしての手腕は見事と言うほかに無い。彼の手によってバーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)は国際的な名声を手にしたのである。プロダクションの作品はイギリス、ロンドン・レコードによってライセンスされ、しっかりとしたヨーロッパへの流通経路を確保していた事も成功の大きな要因であろう。
その後レーベル、タイム・ワン(Time One)を設立、ここでもジャー・スクリュー(Jah Screw)はバーリントン・リーヴィ(Barrington Levy)を中心にヒットを量産していく。まず特筆すべきはジャマイカ史上最も偉大なるシンガー・ソング・ライター、ボブ・アンディ(Bob Andy)のカバー2タイトル、'Too Experience'、'My Time'であろう。カナリア・ヴォイスと形容される彼の素晴らしい歌声は30年の時を経てこの素晴らしいロックステディー2曲に新たな命を吹き込んだ。もう一つ、ここ日本でも特に人気の高いダンスホール・ラヴァーズ、美しいメロディーが耳をついて離れない'Don't Throw It All Away'も決して忘れる事の出来無い素晴らしい作品である。
更に人気ディージェイ達とのコンビネーション、カッティ・ランクス(Cutty Ranks)との'Dance Hall Rock'やバウンティ・キラー(Bounty Killer)との'Living Dangerously'、ササフラス(Sasa Frass)との'Step Up In Life'、レジー・ステッパー(Reggie Stepper)との'Something In My Heart'といった楽曲はジャマイカだけでなくイギリスのチャートでも上位に食い込む程の人気を博した。
その他にもタイム・ワン(Time One)からはレジー・ステッパー(Reggie Stepper)、'Under Mi Sing Ting'やチャカ・デマス(Chaka Demus)、'Stallion'、パパ・サン(Papa San)、'Danger'、サンチェス(Sanchez)、'Something Ain't Right'といったパフォーマー達がヒットを飛ばし、これらの楽曲に対する評価は今尚絶大である。
2008/08/08 掲載 (2008/10/06 更新)