Redman(レッドマン)Text by Dub Store Sound Inc.
1987年、帝王ジャミーズを脅かす存在として登場したレーベル。多くのプロデューサーと同様にサウンド・システムより身を起こした生粋の現場主義者である。
Redman
設立 |
1987年 |
設立地 |
ジャマイカ キングストン |
主要スタジオ |
Channel One |
設立者 |
Hugh James |
プロデューサー |
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エンジニア |
Anthony Kelly Dave Kelly Errol Brown Gary Sutherland Soljie Hamilton |
関連アーティスト |
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プロデューサー兼レーベル・オーナーのヒュー'レッドマン'ジェームズ(Hugh ‘Redman’ James)はサウンド・システム・オペレーターとして80年代から活動を始めた。モンスター・リズム、"Sleng Teng"によるダンスホール革命から2年後、1987年に彼は自分なりの明確なビジョンを持ってプロデュース業へと打って出た。
彼は、当時帝王としてダンスホール界に君臨したキング・ジャミー(Lloyd James)を手本とすることで最初にジャミーに対する脅威となった。彼のプロデュースするサウンドは、1言で例えるならば、ジャミーズ(Jammys)の音をよりルーツ色を濃くした物と言ってよい。
当然のごとく彼もまた、当時どのセッションにも必ずといって良い程登場した天才コンビ、スティーリー&クリーヴィー(Steely & Clevie)を起用。彼等と共に数々のヒット曲をリリースして行った。
彼のレーベルが栄華を極めたのが1988年、アドミラル・チベット(Admiral Tibett)の'New Tactics'やカール・ミークス(Carl Meeks)の'Wey Dem Fa'、そしてコンロイ・スミス(Conroy Smith)の'Dangerous'といった強力なシングルを次々とチャートの上位に送り込んだ。
レッドマン(Redman)最大のヒット・リズムとなったのはクレメント・アイリー(Clement Irie)による反コカインのメッセージを訴えた'Kolo Ko'である。
これはデルロイ・ウィルソン(Delroy Wilson)のスタジオ・ワン(Studio One)時代の名曲'Run Run'をデジタル化した物で、抜き差しが多くタイトなサウンドは、システム出身の彼からすれば当然の完全現場使用、恐ろしいまでの破壊力を持っている。
2009/05/26 掲載 (2014/04/17 更新)