Jah Shaka(ジャー・シャカ)Text by Dub Store Sound Inc.
世界中のルーツ・ファン、ニュー・ルーツ・ファンから熱狂的な支持を集めるジャー・シャカ(Jah Shaka)によって設立されたレーベル兼サウンド・システム。
Jah Shaka
設立 |
1980年 |
設立地 |
イギリス ロンドン |
主要スタジオ |
Addis Ababa Ariwa Disciples Studio Iron Works Leggo's Music Works Remaximum Shamless |
設立者 |
Jah Shaka |
プロデューサー |
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エンジニア |
Andy D Pinnock Dread & Fred General Marshall Martin Addis Paul Palmer Rohan Richards |
関連アーティスト |
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60年代後半よりサウンドシステムを開始して以来、そのスピリチュアルな空間に響き渡る重低音と脳に直接訴えかける高音が折り重なった脅威のサウンドで熱狂的信者を持つジャー・シャカ(Jah Shaka)。幼少期に両親と共にイギリスへと渡った彼は、現在におけるUKルーツ・シーンをその中心で築き上げた功労者である。世界中から大きな尊敬を集め、30年もの永きに渡ってトップに君臨し続けている。
彼がそれ程までに多くの支持を集める理由として、70年代の思想、精神を忠実に表現し続けた唯一のサウンド・システムであったからに他ならない。ズールー一族のソルジャーを名乗るジャー・シャカ(Jah Shaka)が繰り出す攻撃的なステッパース・リズムは、新しいダンスホールだけではないレゲエとの関わりを、多くのリスナーに提供する結果となった。彼のサウンド・システムには最新のラガを受け付けない、白人やアジア人の客が多かったのも特徴として挙げられる。しかし彼は全く新しい音楽を受け付けなかった訳では無い。70年代のルーツ・レゲエがプレイ・リストの中心であったのは事実であるが、自らの基準を満たした物であれば躊躇無く取り入れていたのである。
プロダクションの方では、トゥインクル・ブラザーズ(Twinkle Brothers)やアスワド(Aswad)、ディサイプルス(Disciples)といったイギリスを拠点としたアーティストを手掛ける傍ら、ホレス・アンディ(Horace Andy)やマックス・ロメオ(Max Romeo)、アイチョ・キャンディ(Icho Candy)、ウィリー・ウィリアムス(Willie Williams)とも素晴らしい仕事をしている。84年に発表されたアスワド(Aswad)のダブ・アルバム、'Jah Shaka Meets Aswad In Addis Ababa Studio'や'Dub Salute'シリーズ、'Commandments Of Dub'シリーズ等はUKダブの傑作として語り継がれ、容赦の無い尖ったリズムと削ぎ落とされたミックスにはジャー・シャカ(Jah Shaka)の音世界が如実に表現されている。
彼は敬虔なるラスタの精神を、一貫して表現し続けている。30年の時を経た現在でもエネルギッシュなステージングで多くのファンを魅了し、シーンの中心的存在で在り続けている。
2008/09/26 掲載