Chino(チーノ)Text by Dub Store Sound Inc.
フレディ・マクレガーの息子としても知られるアーティスト。高校時代からサウンド・システムで活動を開始すると同時にビッグ・シップ・レーベルでは曲作りやプロデュース業を開始した。アメリカでラッパーとして活動後、帰国して'Chino'と改名。ヒップ・ホップを独自に取り入れた楽曲を発表している。
Chino
本名 |
Daniel Mcgregor |
出生 |
1983年2月12日 |
出身地 |
ジャマイカ キングストン |
関連アーティスト |
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ジャマイカを代表する偉大なるシンガー、フレディー・マクレガー(Freddie McGregor)の息子、チーノ(Chino)。彼は現在父と同じ音楽の道で素晴らしいキャリアを構築しようとしている。彼はギター、ドラム、ピアノ、ベースといった楽器を操り、シング、ラップ、ディージェイ、作曲までを行うマルチな才能を発揮し、これまでにダヴィル(Da'Ville)、TOK、ウェイン・マーシャル(Wayne Marshall)、エレファント・マン(Elephant Man)、キップリッチ(Kiprich)、デリー・ランクス(Delly Ranks)、フレディー・マクレガーを手掛けた経験がある。
家庭環境からも分かる様に、幼少期から常に音楽に囲まれて育ったチーノ。8歳にして'Vaz Preparatory School'の聖歌隊で歌い始め、12歳を迎えると首相であるPJパターソン(PJ PAtterson)の前でパフォーマンスを行った。
彼は日常的に自宅のスタジオ、ビッグ・シップ(Big Ship)にてデニス・ブラウン(Dennis Brown)、マーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)、ジュディ・モワット(Judy Mowatt)、グレゴリー・アイザックス(Gregory Isaacs)、そしてダンスホール・アーティストとして知られるバウンティ・キラー(Bounty Killer)やビーニ・マン(Beenie Man)を目の当たりにしてきた。そういった日常からレコーディングや楽曲制作についてのスキルを学んだと言えるだろう。
高校に進学すると通っていた'Wolmer's High School'にてサウンド・システム、オメガ・ディスコ(Omega Disco)のセレクターとして活動、そこでパパ・サン(Papa San)の兄弟であるブライアン(Bryan)の楽曲'Joy'にラップを頼まれラッパーとしてのキャリアをスタートさせる。次にキップリッチとの'Leggo Di Bwoy'、'Gimme Di Gyal'を発表。'Leggo Di Bwoy'はチャートのナンバー・ワンを獲得した。
高校を卒業するとアメリカへと渡り、トリーナ(Trina)やトリック・ダディ(Trick Daddy)が所属する'Slip N Slide Records'で働き音楽ビジネスを学ぶ。帰国後はニューヨーク、マイアミ、アラバマ、ミシシッピ、ロンドン、ヨーロッパ、アフリカ、日本、バミューダ、ヴァージン・アイランド、カリビアン・アイランドでツアーを行った。
2002年に発表された父、フレディ・マクレガーのアルバム「Anything For You」はグラミー賞にノミネート。収録曲である'There's A Reward For Me'では父とコラボレーションを果たした。
またカート・ライリー(Kurt Riley)のワーシントン・プロジェクト(Worthington Project)の為に制作された'Girls Dem Straight'が話題となる。
更に"Cartoon"リズムでの'Buss It Pon Dem'やH2Oの"12 Gauge"リズムの'Inna Di Clubといった楽曲で注目を集め、デリー・ランクスをフィーチャーしたピュア・ミュージック(Pure Music)からの"Red Bull & Guiness"がヒットとなった。2007年にはアルバム「Unstoppable」を発表し、ハードなラップからシングジェイまで柔軟なスタイルを聴かせている。
以降は弟であるスティーヴン・マクレガー(Stephen Mcgregor)のプロデュースでヒットを量産、'Never Change'、'Ruff It Up'、'Call Mi Name'、'Forgive Me'、'Wi Nuh Like'といった作品を発表し、シーンの最前線で活躍している。
2009/09/02 掲載 (2013/11/28 更新)