Clinch(クリンチ)Text by Dub Store Sound Inc.
アビシニアンズによって設立され、自身の作品を中心に70年代における素晴らしいルーツ・ミュージックをリリースしたレーベル。
Clinch
設立地 |
ジャマイカ キングストン |
主要スタジオ |
Dynamic Studio One |
設立者 |
Abyssinians Bernard Collins |
プロデューサー |
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関連アーティスト |
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ルーツ・コーラス・グループ、アビシニアンズ(Abyssinians)によって設立されたレーベル。リード・シンガーのバーナード・コリンズ(Bernard Collins)とドナルド・マニング(Donald Manning)、リンフォード・マニング(Linford Manning)の3人から成り、辛辣なルーツ・ミュージックを歌った。
カールトンとリンフォードのマニング兄弟はカールトン&ザ・シューズ(Carlton & The Shoes)を率いたカールトン・マニング(Carlton Manning)の兄弟としても知られ、兄カールトンに影響を受けると共にギター、コーラスの手ほどきを受ける。
アビシニアンズのデビュー曲である'Satta Massa Ganna'は1968年にカールトン&ザ・シューズがリリースした名曲、'Happy Land'を原型として作られているが、この'Satta Massa Ganna'は1969年にスタジオ・ワン(Studio One)で録音された。神聖なラスタ賛美歌として知られ、歌詞にはエチオピアのアムハラ語が使用された。
1969年のリリース当初、プロデューサーのコクソン・ドッド(CS Dodd)はこの楽曲をあまり重要視していなかったという説が残っているが、1971年、アビシニアンズが自身のレーベル、クリンチ(Clinch)からリリースしヒットすると再録音を行い、ディージェイ・ヴァージョンやインストゥルメンタル・ヴァージョンをリリースした。その後も'Satta Massa Ganna'のヴァージョンは数え切れない程使用され、リリースから数十年経った現在もルーツの代表曲として多くのファンに認知されている。
その後クリンチからは同じくスタジオ・ワンで録音されたセカンド・シングル、'Declaration Of Rights'がリリースされ、彼等を語る上で'Satta Massa Ganna'同様に重要な楽曲となった。バック・コーラスにはマニング兄弟では無くヘプトーンズ(Heptones)のリロイ・シブルス(Leroy Sibbles)が参加しており、こちらも頻繁にヴァージョンされている。こうした楽曲に見られる様に、ミリタントなリリックとハーモニー、ハードなルーツ・リズムがアビシニアンズのスタイルとして確立されていった。
その後もクリンチからは数は少ないが非常にクオリティの高いシングルが発表され、'Poor Jason White'の様に実話を元にした曲や、'Let My Days Be Long'、'Leggo Beast'、'Forward Jah'、'Prophecy'といった文化、歴史的内容を歌った曲もある。また'Satta Massa Ganna'のヴァージョンも多数リリースされ、バーナード・コリンズのソロでの'Satta Me No Born Yah'、ビッグ・ユース(Big Youth)の'I Pray Three'、'Dreader Than Dread'、ディリンジャー(Dillinger)の'I Saw E Saw'といった楽曲がヒットを記録した。またアビシニアンズが歌った'Mabrak'では聖書からの引用が行われた。
また1977年にはファースト・アルバム、「Forward On To Zion」、1978年にはセカンド・アルバムの「Arise」を発表する等、70年代における厳格なるルーツ・ミュージックを表現していった。「Forward In To Zion」はイギリスでも発売され、これまでのシングル・レコードに比べより幅広い聴衆に存在をアピールした。
80年代に活動はほぼストップしていたが、90年代にはレーベル運営を再開、'Satta Massa Ganna'のヴァージョンでプリンス・ファー・ライ(Prince Far I)の未発表曲'Wisdom'、アビシニアンズの'Satta Don'を発表。更に2004年にはUロイ(U Roy)、ボンゴ・ハーマン(Bongo Herman)、ジャーマリ(Jahmali)、アンソニーB(Anthony B)、ルチアーノ、ケイプルトン(Capleton)等が'Satta Massa Ganna'でリリースを行った。
2009/06/18 掲載 (2014/04/17 更新)