Charlie Chaplin(チャーリー・チャップリン)Text by Dub Store Sound Inc.
Uロイのキング・スター・ガフ・ハイファイと共にシーンを席巻したラスタ・ディージェイ。コンシャスなリリックの中にヴィンテージ、オールディーズの名曲のフレーズを取り入れた独自のスタイルは、正に職人芸。
Charlie Chaplin
本名 |
Richard Patrik Bennet |
出生 |
1960年10月13日 |
出身地 |
ジャマイカ セント・キャサリン |
関連アーティスト |
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敬虔なラスタであるチャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)はUロイ(U Roy)のキング・スター・ガフ・ハイファイ(King Stur Guv Hifi)でディージェイとしての頭角を現した。
幼少の頃、ムービー・スターのチャップリンの大ファンだった彼は学校で彼の真似をしては、友人達を笑わせていたそうで、いつからかチャップリンと呼ばれるようになった。
13歳から髪をドレッド・ロックスにし、ラスタとしての生き方を選んだ彼は、それが理由で沢山の苦労を経験した。同級生たちが彼のドレッド・ロックスをこぞって真似しだし、しまいには彼が学校を追い出される羽目になってしまったというエピソードも残っている。それだけ影響力のある少年だったということであろう。
当初地元の小さなサウンド・システム、ゲットー(Ghetto)でマイクを握っていた彼は、師と仰ぐUロイにスカウトされ活動の場をキング・スター・ガフ・ハイファイへと移すことになる。これが本格的なキャリアの始まりで、Uロイを手本としながら現在まで続く独自のスタイルを確立していった。
彼の魅力は、コンシャスなリリックの中にヴィンテージ、オールディーズの名曲のフレーズを取り入れた親しみやすいスタイルにある。それだけでなく、流行の歌の物真似や替え歌、パロディー風のリリックまでこなしてしまうなど柔軟な芸風も特筆すべきオリジナリティーだ。
最初の録音はロイヤルズ(Royals)のリーダーでもあったロイ・カズンズ(Roy Cousins)の元で、チャーリー・チャップリンが残した最高のシングルは間違いなく、彼のレーベル、タモキ・ワンビシ(Tamoki Wambesi)からの'Chaplin Chant'だろう。へヴィー・ウェイトで恐ろしくタフなリズムに乗せた歴史的な傑作だ。
更に彼の人気をここ日本でも決定付けたのがジョージ・パン(George Phang)が率いるパワー・ハウス(Power House)からの'Que Dem'であろう。この曲はリトル・ジョン(Little John)の'True Confession'と共に大きなヒットとなった。同じくパワー・ハウスに残した'Fire Burn Dem Below'と共に彼の代表作である。
その後も精力的にレコーディングをこなしていった彼は89年に自身の最高傑作となるアルバム「Two Sides Of Charlie Chaplin」をリリース。こちらは珍しいスタジオ・ライブ盤で、彼のディージェイとしてのスキル、そして100%コンシャス・リリックのカルチュラル・メッセージが込められた素晴らしい内容である。
彼の追及したスタイルは当時の流行とは違った方向への答えを導いた。厳密にカルチュラルにこだわった一貫性、リスナーの心を掴むユーモア・センスでキング・スター・ガフ・ハイファイの看板ディージェイとしての地位を確立した。
2008/01/04 掲載 (2013/11/21 更新)